感覚的探求

 自然主義の破綻は、多くの人々に新らしい途を辿らせた。各人が各自の方向に進んだ。我が国で、新技巧派とか人道主義とか新感覚派とか称えられたものは、批評家が便宜上名づけたものにすぎなくて、実は、そういう主義や流派は存在せず、各作家がそれぞれ各自の途を歩いたのである。一体、詩人の方は、何等かの旗幟をかかげ何等かの作詩法を提出し、何等かの主義主張を唱えることが多いものであるが、小説家の方は、ただ黙って創作することが多い。これは、両者の気質にもよるであろうが、また詩と小説との本質に関連する面白い現象である。がここでは問題外ゆえはぶく。
 ところで、前記の新技巧派と人道主義とについては、現在では殆んど論ずる必要のないことだし、また論及の遑もないが、新感覚派については、一言しておく必要がある。
 批評家が便宜上名づけた新感覚派という言葉は、小説創作上における一つの態度を暗示する。
 自然主義が現実の壁につき当って行きづまった時、或る人々は、その現実の壁を不思議そうに眺めた。不思議そうに眺めることは、新らしい眼で眺めることだ。何等の先入見もない小児のような眼で眺めることだ。すると
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