比較的容易いが、対象が人間となると、そこに特殊の用意が必要となる。
吾々は実際、他人がどういう風に考えたり感じたり意欲したりしているかを、少しも知ることは出来ない。ただその人がどういう風に口を利き身振をし行動するかを知るだけである。けれども、それらの言葉や身振や行為には必ず、その人の思想や感情や意欲などが裏付けられている……というよりも寧ろ、その内部の動きが外部の動きとなって現われているのである。だから、本当によく見える眼を持ってる者は、人の外部の動きを見て内部の動きを知ることが出来る。外部の現われを描写することによって、内部の世界をも描写することが出来る。勝手な想像や推察や解釈は、却って真実を損ずることが多い。
然しながら、モーパッサンでさえもこう告白する――「現実を信ずることは、何と子供らしいことではないか。吾々は各自に、自分の思想や器官のうちに自分だけの現実を持っている。各自に異なった眼や耳や鼻や舌は、地上にある人間の数と同じ多くの真実を創り出す。そして吾々の精神は、各人異なった印象を受けるそれらの器官の指導によって、あたかも各自に異なった種属ででもあるかのように、いろんな風
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