ることだ。」
 ここで注意を要するのは、何等の先入見にも囚われない白紙的な眼で観察するのは、対象の個性を掴むのを目的とするということである。凡て新らしい思想なり見解なりが抬頭する場合には、いつでも、何等先入見のない新らしい眼で現実を見直さなければならない、ということが主張される。そしてそれは結局、現実を新たに見直す――新たに解釈する――ためにである。ところが自然主義では新たに解釈することが目的ではない。否、解釈や批判は凡て現実を歪曲するだけだと説く。現実が絶対なのである。そしてその絶対な現実の事物の個性を捉えるのが目的である。甲の樹木が「樹木」であるばかりでなく、「甲の樹木」である所以を、はっきり見て取らなければならない。類型を排して個性を掴むのである。
 現実を尊重するということは、当然の理である。そのために観察の必要なことは、いうまでもない。そして物の或は人の個性を掴み取らなければならないということは、芸術の世界では不変の鉄則である。生きた人間を描くというのも、要するにその個性を掴んでから出来ることである。
 観察によって現実の真相を掴み取るということは、対象が木や火である場合には
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