っている太平洋航路の汽船の汽笛が風の加減で、流れてきた音なのだ、と理解した。彼らの足もとには波が暗く呟いていた。次の瞬間、部落全体が、ワッと、大きな声を上げて、波打際で、泣いた。その時は、ほんとうに、部落全体が、ワッと、大きな声を上げて、泣いた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ](「海岸埋立工事」――藤沢桓夫)
 これは鱶釣りの発動機船が沖で遭難して戻って来ないのを、部落の人々が待ちつくしてる場面である。ところで、右の一節には、表現の深みにおいて至らぬ点を持ってはいるが、部落全部が一つの一体として無理なく描かれているところに、プロレタリア文学に対する或る暗示がある。何等かの集団なり階級なりを一体として描き、それに一つの生活的情感を持たせることは、それがたとい階級闘争のためになされたものであろうとも、文学における新たな領土の開拓たることを妨げない。そしてこれは前に述べた「ユナニミスム」の見解とおのずから相通ずるものであって、作品の上にはほぼ似寄った結果を齎す。
 人間のそれぞれの集団のうちにその集団独自の生命や生活を見出そうとする「ユナニミスム」の見解や、いわゆる戦争文学の団体行動を基本とする描写法や、プロレタリア文学の階級的固執などは、各個人を解消し包括して一体となっている群衆の魂を描出するという、新たな領土を文学に提供する。
 それと共に、プロレタリア文学は、その階級闘争の実践的イデオロギーにおいて多種多様であり、且つ、唯一階級への社会還元が実現された暁には当然消滅すべきものではあるが、そしてまた、それが強権主義の陣営内にあっては如何に歪曲されるかも上述の通りであるが、然しながら、強烈なる生活意欲を文学に盛ることに於て、そして作者に新たな社会的関心を持たせることに於て、文学に特殊な生気を吹きこむものである。そしてこの見地から見ると、あくまでも個人に固執して、個人の精神内部に新たな世界を見出した心理的探求の文学は、畢竟、社会的生命を失いかけたブールジョア文学が最後に見出した逃避所であるかも知れない。或はそうでないかも知れない。それは、見る人の観点が、個人に立つか社会に立つかによって定まる。

      将来への希望

 以上、私は現代小説の趨勢を大体述べたつもりである。そして趨勢に――傾向の推移に――主として眼を止めたために、その中軸――胴体――に言
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