とも見られる。然しそうばかりとはいえない。新らしい感覚で感得されたものでなければこういうものは単なるヨタにすぎなくなる。
 新らしい感覚によって感得されたものは、必然に、それ独特の表現形式を以て現われてくる。なぜなら、芸術作品においては、内容と表現とは切り離すことの出来ないものだから。
 批評の場合には、便宜上かりに作品の内容と表現とを分けて論ずることがある。然しそれはあくまでも「便宜上かりに」であって、両者は不可分の関係にある。吾々は物を考える場合に、単に物――内容――だけを考えることは出来ない。必ず言葉――表現――によって考える。そして小説のなかで、例えば「女」という場合には「女」と題する一つの彫像みたいな具体的な個体を現わすのであって、単なる概念ではない。
「もう生きていたくない。」――「もう死にたい。」――とこういう二つの表現は、理論的には一つの気持の両面を現わすものであっても、芸術的には全く違ったものとなる。
「世の中が嫌になった。」――「生きていてもつまらない。」――「生きていたくない。」――「死んだ方がましだ。」――「死んでしまいたい。」――「死のう。」
 こういう風に程度の差をつけて書き並べてみると、どれをどれに置きかえても妥当でないことが分るはずである。即ち内容が異なれば表現も異なってくる。内容と表現との間には、髪の毛一筋の隙間もあってはならない。なおいえば「今日はお天気だ。」というのと、「今日は日が照ってる。」というのとは、全く違った事柄を表わす。それ故、新らしい感覚はそれ独特の表現を要求する。
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 夜が明けたように彼女の瞼が段々と大きく開き、闇色の瞼のぐるりへトゲのように睫毛をはねると、鋭くじっと彼女はわたしを見据え、わたしの心臓へはっと怪しい動悸の刻みを与えた瞬間
「と申しますと?」
 弱々しい低い声音に、何かしら決心の表情を見せるのです。
「お間代をお支払い出来ませんでしたら、この住まいを出ろとおっしゃるのですか?」
 おお! 彼女の睫毛の先にキラキラと膨れた夜の雨のような大粒な涙です。古びた浮刷の花模様の壁紙。はすにわびしくそこへ映った彼女の影法師。と、わたしの心はふと何かに怯えるのです。……
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[#地から2字上げ](「風」――竜胆寺雄)
「あらゆる人間の経歴を泳ぎぬけてきた」手におえない三十
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