く変らぬ愛というものがもしあるならば、それはまた同時に永く満されない愛であり、理想の幻に対する愛であろう。私は彼女に一つの名前を欲するのであるが、如何なる名前もぴったりとあてはまることがないのである。
四
ユーゴーは「レ・ミゼラブル」の中に、人は屡々高声に物を考えると書いている。それは誰でも日常経験することである。吾々が物を考えるのは言葉によってであって、その言葉が、或は心象となって沈黙し、或は低い呟きとなり、或は高声の叫びとなるのであろう――固より、脳裡に於てであるが。高声に物を考えるのは、多くは情意の昂奮している場合であろうが、然し情意の状態の如何に拘らず自然にそうなるような場所もある。
往年、私は屡々、有楽橋から呉服橋までの河岸ぷちを、深夜、歩くようになっていた、というより、歩くようにしていた。
夜遅くなると、あの河岸ぷちの方には殆ど人影がない。反対側の歩道は、ちょいちょい人通りがあり、その先は日本橋裏通りの賑やかな場所であるが、わざわざ掘割の岸を歩く者はないと見える。
歩道は狭く、柳の並木があり、低い手摺の外はじかに掘割であって、満潮の折には水が深々と寂
前へ
次へ
全11ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング