其処を、父のために母と二人で歩いていたということが、私の心を惹くのである。父も母も既に世に存しない時になって、父母のことを偲べば、心の底に澱んでくるものは結局、父のために、そして、母と一緒に、とそれだけに要約される。如何なる人も、何等かの意味で、夜明け前の薄暗い堤防の上を、父のために歩いたことがあるだろう、更に一層、母と二人きりで歩いたことがあるだろう。この感懐、単なる感傷ではない。兄弟姉妹のない一人児の私にとっては、殊にそうである。

      二

 私の生家は筑後川流域の農村にあり、親戚は多く福岡市内に散在している。私は親戚の家に寄寓して、市内の中学に通い、休暇の間だけ生家に帰った。
 田舎では、人は殆んど散歩ということを知らない。日常生活が既に自然の中に営まれていて、戸外の大気に接する必要もないし、外に出ても、珍しい物はないのである。ところが、都会からの客があると、田舎の人は俄に自然に対して眼を覚すかのように、飲食や談話などより先ず、野に連れ出し、農作物を見せ、川の土手を歩かせ、夕陽を眺めさせる。都会からの来客を機縁に、自然の中の宝玉が輝き出すのである。
 都会の中学生
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