が聞えると、すぐ飛んで行った。なぜ泣かせるんだ、と竜子を叱った。順一が顔を渋めてると、おしっこだ、襁褓《おむつ》を取代えてやれ、と竜子へ云いつけた。一日置きには風呂を沸かさせて、自分で入れてやった。
 恐ろしい闘いが来そうな気がした。
 然し彼は、つとめて竜子へ滋養分を取らせた。毎日牛乳を二合は是非とも飲ませた。力のいる仕事は皆女中にやらせた。
 何のためか、彼は自分でも分らなかった。
 二人で差向っていると、彼は知らず識らず竜子の腹部に眼をつけていた。
「まだ大きくなりはしませんですよ。」
 彼女は笑った。がその笑いは、中途でぴたりと止んだ。
「なぜそんなにお腹ばかり気にしていらっしゃいますの。」
「お前は恐ろしくはないのか。」
「え? なにが?」
 何がだか、彼にもはっきりとは分らなかったが、大きく膨れ上った腹の幻が、それは妊娠の腹でも腹膜炎の腹でもなく、ただ怪しく張り切ってる太鼓腹が、頭の底に浮び上ってきた。
「大丈夫でございますよ。」
 竜子はややあって平然と答えた。そして太い臀を少し横坐りにどっしりと構えて、力一杯に押しても小揺ぎだにしそうになかった。
 勝手にするがいいや!
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