は離れの押入の中に、秋子の遺骨が出しっ放しになってるのを見出した時、冷たい脂汗が額ににじんだ。
それが夜になると、怪しい幻覚の形を取ってきた。
竜子の前を逃げるようにして、離れの室にやって来、窓の下に据えてる机に向うと、丁度後ろが押入になっていた。それがしきりに気にかかった。いくら努力してもいつのまにかそちらへ注意を惹かれていた。音もしないですうっと襖が開いて、白い布がはらりと解け、白木の箱や骨壷が[#「骨壷が」は底本では「骨※[#「壼」の「亞」に代えて「亜」、57−上−15]が」]まざまざと見えてきた。何か大きな力でねじ向けられるかのように、首を徐々に振り向けてみると、押入の襖は閉まっていた。下半分がただ白くて、上半分に電燈の笠の影を薄暗く受けていた。
彼は怪しい衝動に駆られた。立ち上って押入へ歩み寄り、骨壷を[#「骨壷を」は底本では「骨※[#「壼」の「亞」に代えて「亜」、57−上−19]を」]開いて、中の白いやつを歯でかじった。食塩と灰とを混ぜて噛むような味だった。不気味な戦きが背筋を走った。慌てて室の中を見廻した。誰も居ないのを見定めて骨壷を[#「骨壷を」は底本では「骨※[#「壼」の「亞」に代えて「亜」、57−上−22]を」]しまった。
また暫くすると、彼は同じ衝動に駆られた。立ち上って押入へ歩み寄った。総毛立った顔をして眼を見据えているのが、我ながら不気味に意識された。一寸立ち止ると。ぞっと竦んだ。
彼は堪らなくなって室から飛び出した。廊下の曲り角が陰々として薄暗かった。血の気を失った顔で竜子の前に現われた。
それを竜子は待ち受けていた。
ただ母性のみが持ってる大きな抱擁力だった。子供をも大人をも本能的に抱き込む、鳥黐《とりもち》のような粘り気のある力だった。彼はほっと息をついた。
然し間もなく、忌わしい反撥の気がむらむらと彼の心に湧いた。彼は彼女を押しのけて立ち上った。
眼に険を帯び、口元から頬へ皮肉な色を漂わせて、そのどっしりとした身体全体で、彼女は彼方をじろりと見やった。
あなたは後悔していらっしゃいますね!
然し口ではそう云わなかった。
「どうなさいましたの?」
彼は何とも答えないで、室の中をのっそり――と意識した歩調で歩き廻った。
「坊ちゃまが……。」
彼女が声を低めてるのが可笑しかった。眼を覚したって構うものかという気がした。わざとその枕頭を力足で歩いてやった。
順一は眼を覚して泣き出した。竜子は慌てて乳を含ました。
「むりに寝かしつけようとばかりしないで、少し抱いておやりよ。」
彼女は黙って、順一が眠るまで待った。それから彼の方へ向き直ってきた。
「私を憎んでいらっしゃるんでしょう。それなら、私出て行きます。」
「出て行けと誰が云った!」
理不尽な言葉を浴せかけてやったが、彼女は反抗して来なかった。下を向いたまま、髪の毛一筋揺がさないで、じっと坐っていた。
鎗で突いても突き通せない、じいわりとした而も深い根を張った、重々しい容積という感じだった。彼が其処を立去っても、もう見向きもしなかった。
彼は一人で苛ら立った。
夜遅く眼を覚すような時には、心が冷たく慴えきって、何となくあたりが見廻された。誰も居なかった。八畳の室ががらんとしていて、孤独な自分の姿をぽつりと浮び上らせた。彼はなお室の隅々まで見渡した。誰かが隠れているかも知れないという気がした。
その誰かが、無意識に探し求めている誰かが、実は秋子であることに気付くと、彼は堪らない気持になった。
秋子、秋子!
障子の硝子に映ってる彼の影を見て、二つになってはいや、と云った彼女のことが、はっきり思い出された。
彼は布団から匐い出して、半身で伸び上ってみた。後ろに電燈の光を受けた真黒な影が障子の腰硝子に薄すらと映っていた。瞳を凝らすと、それが次第に濃くなってきた。硝子のすぐ向うまで寄って来て、今にも室の中に飛び込んで来そうだった。
妙だぞ、と思うと同時に、彼はにじり寄ってる自分自身が恐ろしくなって、つと身を引いた。拭うがように凡てが消えて、雨戸の白い板が向うを限っていた。
かすかな……音とも云えない音が、何処からか響いてきた。彼は耳を傾けた。釘を打つ音、伏金の音、火葬窯の扉の音……でもなければ、分娩の唸り、瀕死の唸り、でもなかった。何だか滅入るような、焼かれた骨が灰になってゆくような……気配だった。自然と押入の方が顧みられた。ぞっと身震いがした。
ふらふらと立ち上って廊下に出た。黒い影が掠め過ぎた。彼は顔色を変えた。不吉だ! という気がした。向うの室にはいってみると、順一と竜子とが床を並べて寝ていた。秋子が分娩した時の通りの位置だった。
そういうことが幾度もあった。
竜子もいつしか、彼の様子に気付いていた
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