一が生れた当時口ににじませたのと同じ色をした、どろどろの液体で、痰吐の半分以上もあった。秋子はそのまま、枕の上にがっくりとなった。
 それからは、容態が目立って悪くなった。腹痛が襲ってくると、彼女はもう身体を引緊めるだけの力もないかのように、だらりと四肢を投げ出しながら、痛みに身を任せて、顔だけをくしゃくしゃに渋めた。下痢の回数が増し、嘔吐が日に一二回あった。何れもひどい悪臭の液体だった。腹が益々膨脹してきた。九度五分前後の熱が続き、脈が百十近くにのぼった。腹痛の合間には、嗜眠に近い状態でうとうとしていた。坪井医学士は、診察を済すとただ黙って帰って行った。看護婦にドイツ語で一二言囁くこともあった。
 順造はもう何にも尋ねなかった。順一と秋子との間を往き来した。看護婦は二人共悪くなかった。一人は、てきぱきした言葉使いをする、眼付のしっかりした大柄な女だった。一人は、言葉に多少訛りのある、内気な静かな女だった。彼女等は秋子と順一とに交代についていた。順一の方にくると、順一が眠ってる間は一緒に眠った。
 順造は、昼間は精がつきたように、じっとしてるとすぐにうつらうつらした。夜になると頭のしん[#「しん」に傍点]が張りきって眠れなかった。女中を早くから寝かして、看護婦と一緒に遅くまで、秋子の側についていた。
 不吉な幻が浮んできた。
 前年の夏、彼等は大きな硝子の容器に、金魚を二三匹飼ったことがあった。その一匹が死にかかった。美しい竜金《りゅうきん》だった。逆様になって、大きな腹を水面に浮べながら、いつまでもぱくぱくやっていた。洗面器に塩水を拵えて一昼夜ばかり入れて置くと、片泳ぎが出来るくらいに元気になった。それが一二日たつと、また仰向にひっくり返った。そういうことを二三度くり返した。大きく脹れ上った腹が固くなり、尾鰭の先が硬ばり、骨立った頭に眼玉が飛び出していた。思い出したように四五度慌しく鰓《えら》を動かしては、またじっと口を閉じた。死んだのかと思って指先でつっつくと、脹れた腹からつんと出てる鰭を動かしてちょろちょろと泳いだ、そういう状態が長く続いた。しまいには順造も秋子も、早く生きるか死ぬるかしてくれればいいと思うようになった。そう口に出してまで云った。長く苦しめるのが可哀そうだった。そして二人は、余りその方を見ないようにした。二週間ばかりたった或る朝、金魚はもう動か
前へ 次へ
全45ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング