こを取ってみても、その形態的明確さに於ては、実際にただ一目見た一本の手や一本の足や一人の人間には、到底及ばない。
手術を手伝うボヴァリー夫人のスカートの動きは、生々と吾々の目に映ってくる。トルストイの「戦争と平和」の中のボルコンスキー公爵夫人の上唇やそのむく毛は、つよく吾々の目を惹きつける。だがそれは、形態的なそういう明確さが作品の中では宝石のようなものだからであり、更に、それが宝石ともなる所以のものは、形態以上のものにまで引上げられるからである。
文学作品の中で単に形態的明確さをのみ求めるのは、勿論、無意味なことであろう。けれどもそれ以上に、更に困難なことかも知れない。
バルザックの「知られざる傑作」は、世に隠れた或る画家のことを書いたもので、その中には幾つも絵画が出てくる。然し吾々は、その画面の大体の主題なり印象なりを知るだけで、果してどういう絵であるか、云わばその形而下的なものについては、余りよく分らない。――「近々とそばへよった二人が認めたものは、カンヴァスの隅に端を見せている一本のむきだしの足であった。それは、形なき霧のような、混沌とした色と調子とニュアンスの見定めもつ
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