かない錯雑のなかから現われていたが、かぐわしい足生きている足であった!」――だが、一体どんな足なのか?
 ドストイェフスキーの「白痴」の中で、ラゴージンの家の客間には、いろいろな絵がかけてあるが、次の部屋に通ずる扉の上方の一枚の絵は、作品の中で最も重要性を持ってるものである。それはホルバインの模写で、十字架から下されたばかりの救世主が描かれている。ホルバインの原画について「こんな絵を見たら人は信仰心がなくなるだろう。」と作者は語っているが、ラゴージンの客間の中の古びた模写は、果してどんなものだったろうか。吾々が知るところはただ、その絵が重大な象徴的役目を荷わせられてることだけである。
 茲に私は、これら大作家達の怠慢を責めるつもりではない。ただ云いたいのは、一枚の画面にしても、その形而上的なものについてはいろいろ書けるだろうが、その形而下的なものについては文字で書き難いということである。試みに考えてみよう。或る画面について、その形而下的な形態的な事柄は、誰にでもすぐに書けるようでいて、実はなかなか書けないのである。如何に文字を並べてみても、一枚の写真或はスケッチに及ばないだろう。
 勿
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング