ながら、実は何にも見ていないような眼付で、顔をうつ向け加減にして、まるで、人を迎える者のようではなく、野原の中にでも一人でつっ立ってるような風でした。そしてわたしが近づいてゆくまで、人込の中に、同じ姿勢でぼんやりしていたでしょう。わたしはそれを見て、非常に淋しい気持になって、そっと近寄っていって声をかけました。するとあなたは、夢からさめたような風に、一寸の間きょとんとして、それから急に、ぱっと微笑んで、にっこり笑ったじゃありませんか。私は喫驚して、それから急に、嬉しくてたまらなくなったんです。だから、あんなことをしてしまったんです。その……何と云ったらいいんでしょう……やはり、夢から覚めたばかりのぱっとした微笑みというか、魂が飛び上ったような微笑みというか、それが、わたしの心を掴み去ってしまったのです。」
「掴み去るって、そんな……。」
「いいえ、そうです。何だか、真暗な室の中から、明るい日向に出たような、そんな風な感じでした。何もかもが、ぱっと輝り渡ったのです。あなたの中に、というか、わたし達の間に、というか、とにかくどこかに、そうしたぱっと輝くものがあるんです。」
「それもすぐに……。」
「いいえ消えやしません。消やしちゃいけません。」
「それじゃ、どうしたらいいんでしょう。」
「その光を頼りに、待つんです。じっと我慢して待っているんです。……わたしは、昨夜一晩中考えました。」
「でも、もう駄目なんです。何もかも嫌なんですもの。今日だって、いい加減のことを云って、めちゃくちゃに飛び出してきたんですの。」
「そしてお父さんは……。」
「何だか感ずいてるかも知れませんの。でも、もうどうなっても構わないわ。」
「わたしも、あなたのところまでやって来るのに、初めはそのつもりでした。そして……。」
「あなたも……。」
「然し……今日だってわたし達は、町を横ぎってここまで来るのに、人に見付からないように用心したでしょう。」
「ええ、そりゃあ……。だって、町中《まちなか》で人に見付かるのは嫌ですもの。ここなら、あたし誰に見付かっても構わないわ。父がやって来ようと、あたし逃げやしない……。」
「そうです。町中じゃ嫌だけれど、ここなら平気です。誰が来ようと平気です。……それと同じ気持でした。わたしは汽車の窓から……。」
「………」
「何もかも云ってしまいましょう。家を出る時、あな
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