物にしても様子なり言葉なりがかなり違って来る筈である。それで戯曲に於ても、その人物の言葉にそれだけの区別が完全に書き表わされれば、勿論問題はないけれど、そいつが非常に困難であるが、地の文の助けをかりれば、比較的たやすいように思われる。これはまだ僕がいたらないせいかも知れない。
それから、戯曲では筋を得ると云うことが元来、戯曲の本質にも反するけれど、作者としてもたまらなく厭に感じられる。小説では、地の文のために書き方によって、どんなにでも、退屈でなく面白く書けるけれど、戯曲ではそれがどうもうまく行かない。過去の事件をどう云う風に織り込むことが出来るか、それがとても厄介になって来る。へまをすれば現在のその場の気分を壊してしまう。それかとて、筋だけを得る訳にも行かないし、その間の処置が、これはまた小説の地の文以上に厄介な気がする。
さて戯曲だけの問題として、僕は前に云ったように、小説に於ける地の文と会話とを一緒にして会話の形にして、そして戯曲を作って、勿論ねらい方だの取扱い方にはひどい違いはあるけれど、畢竟するに戯曲の会話と云うものは、そう云う風なものじゃないかと思う。そこで戯曲に於
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