戯曲を書く私の心持
豊島与志雄

 四五年前から、戯曲を書いて見たまえって、周囲の友人に度び度びすすめられたことがあったんです。そして僕自身も戯曲を書いて見たい気持はしばしば起ったんですけれど、いざ書こうとなると内容のイメージが、どうしても小説的に、言いかえれば、平面的になって来て仕方がなかった。この小説的とか平面的とか云う意味は、小説に於ける地の文が必要がなくては表わせないと云った風なことです。なお詳しく云えば、頭の中のイメージを表現する場合に、会話と地の文と両方持ちよらなければ出来そうもないような気持なんです。そこで、会話と地の文とが一つになって、会話的な言葉だけで、表現出来る境地まで踏み込んで行きたいと考えて見た。そしてそれがどうにか出来そうに思えて来たから、ぼつぼつ戯曲を書き出したような訳です。

 そこで実際、戯曲を書いて見るとかなり愉快な気がします。でその愉快さはどこから来るかと云えば、一つは小説のように地の文がないと云うこと、勿論ト書があるけれどもあれはほんの人物の動作とか、言葉の調子とか特種な表情とか、そう云った僅かな注意書で、小説の地の文見たいに重要な役目をするもので
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