では、勿論小説としても立体的になればなるほど勝ぐれたものである訳なんだけれど、直接原稿用紙に向っている時の作者の眼は、随分ひろい範囲内に拡がっていなければならない。そして要は、ただ文字にすべきものとすべからざるものと、選択の如何にある。ところが脚本では、始めからのイメージが、人物それ自身の具象的な姿で表わされているし、それが舞台と云うものの中に限定されているから、作者としての眼の働きが、比較的狭い範囲内に限られ、従って、その場合その時の作の内容の凸凹変化が拡大鏡的にはっきり眼に写ってくる。そこで実際書いている作者の気持では、比較的彫刻的のような感じがする。
但し、戯曲を書いて見て非常にはがゆい感じのする点がある。これはこの前に云ったと反対に、地の文のないせいだと云えるだろう。小説では、ある瞬間のことを書く場合にも、地の文があるために、その時以前の種々の事件の圧力が比較的らくに表わされる。ところが戯曲ではそれがかなり困難なような気がする。とは云うものの、仮りに種々の事件から来る色々の智的及び感情的の重荷を数で表わして、五のものを荷っている場合と十のものを荷っている場合とは、同じ一人の人
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング