。
少年は、ふたりをメーソフの所に連れていって、馬車《ばしゃ》を見にきた人だと伝えました。
「案内して、お見せしろ」
と、メーソフはぶあいそうに言いました。
裏の倉の中には、石だの像だのが転がっていて、うす暗くて、冷え冷えとしていて、すみの方に、大きな馬車がありました。少年が言った通り、古いけれどじょうぶな鉄の馬車でした。
キシさんと太郎は、メーソフのところに戻ってきました。
「あの馬車は、いくらですか」
と、キシさんがききました。
メーソフは、じろじろふたりのようすを眺《なが》めてから言いました。
「あの馬車は、売られません」
「え、売られない……でも、見せてくれたでしょう」
「見せてはあげます……けれど、売りはしません」
キシさんは、しばらく考えてから、また言いました。
「売ってくれませんか。値段のことなら、少しは高くてもいいんですが……」
「いいえ、売りません」
そして、メーソフの髭《ひげ》だらけの顔の中で、目がぎらりと光りました。
「なぜ売らないんですか」
「なぜでも、売りません」
ぶあいそうな、ぶっきらぼうな返事なので、どうにもしかたがありませんでした。
キシさんと太郎は、すごすご出ていきました。
「早くめしを食ってこい」
と、少年にどなってるメーソフの声が、うしろに聞こえました。
馬車《ばしゃ》を売らないわけが、キシさんにも太郎にもわかりませんでした。見せるからには、売りものに違いありません。値段のことなら、少しは高くてもよいと、こちらから言ったのでした。きっと、メーソフは、なにかかんしゃくをおこしていたのでしょう。
けれどあの馬車なら、金銀廟《きんぎんびょう》まで行くのにもってこいです。ぜひとも買わなくてはなりません。何か変ったことがあるときは、屋根がきいきい鳴るなんて、ほんとにせよ、うそにせよ、おもしろいじゃありませんか。どうしたら買えるか、キシさんも太郎も考えました。先方が売らないというのを、無理にも買おうというのです。ふたりとも、知恵をしぼって考えました。
そのあくる朝、太郎はにこにこして起きあがりました。うまい考えが浮かんだのでした。
「まあ、待っていてください」
太郎はキシさんにそう言って、お金を持って出かけました。古物店《こぶつてん》には、あの少年もおり、メーソフも、昨日の通りひかえていました。太郎は元気よく飛びこんでいきました。
太郎はふんがいしたように言いました。
「メーソフさん、あなたは、世間《せけん》から誤解されていますよ。みんなあなたのことを、ほらふきのインチキだと言ってますよ」
「ほう、どうしてですか」
と、メーソフはたずねました。
「昨日見せてもらった鉄の馬車《ばしゃ》ですね、あのことを、人に話したところが、あれはもう古くて役に立たないと、みんな言ってますよ」
メーソフは目玉をぐるっと動かしました。
「あの馬車はすっかりさびついていて、動きはしないと、みんな言ってますよ」
メーソフはまた目玉をぐるっと動かしました。
「あの馬車はただの飾りもので、引き出せば、ばらばらにこわれてしまうと、みんな言ってますよ」
メーソフはまた目玉をぐるっと動かしました。
「あんな馬車を、さも大事そうに飾りたてとくなんて、メーソフはとんだインチキやろうだと、みんな言っていますよ」
メーソフは、また目玉をぐるっと動かしました。
「ぼくがいくら弁解しても、誰もしょうちするものがありません。ぼくはくやしくてたまらないんです。だから、今日|一日《いちんち》、あの馬車《ばしゃ》を貸してください。あれに馬をつけてあちこち駆けまわって、どうだい、メーソフさんの馬車はこのとおり立派じゃないかと、みんなに見せつけてやりたいんです。今日一日、貸してください」
太郎の話を聞いて、メーソフはふんがいしていました。
「よろしい、みんながそんなことを言ってるなら、うんと見せつけてやってください。メーソフの馬車は飾りものじゃない」
そこで、倉から馬車を引っぱり出して、ふくやら、磨くやら、油をさすやら大変働きました。
馬車はすっかりきれいになりました。
太郎はホテルに戻って、キシさんにわけを話し、馬車を占領《せんりょう》してしまう手はずを決めました。前から買っておいた二頭の栗毛の馬を引いてきて、馬車につけました。一包みのお金をメーソフにあずけて、安心させました。
馬に鞭《むち》をあてると、馬車は勢いよく走りだしました。それを、メーソフは笑顔で見送りました。
馬車は、夕方になっても、夜になっても、戻ってきませんでした。メーソフは、心配し始めました。
あくる朝早く、メーソフは起きあがりました。そしておもてをあけてみると、馬車がそこにありましたので、駆けよって行くとおどろきました。
馬車の中には、変な人が三人乗っていました。白と黒との市松《いちまつ》の服をつけ、尖《とが》った三角の帽子をかぶっている大男、それはキシさんです。五色の縞《しま》の服をつけ、ふさのついた大きな帽子をかぶってる少年、それは太郎です。紫の服に白い羽の帽子をかぶっている少女、それはチヨ子です。チヨ子のひざには、まっ白な金の目銀の目の猫が抱かれています。そして三人は、パンや、焼肉や、果物などをまん中にならべて、食事をしているのです。
そればかりではありません。馬車《ばしゃ》のかたすみには、かばんや毛布、大きな毬《まり》や金輪《かなわ》や、ナイフや棒など、いろんなものが積み重なっています。それに、馬車には馬も二頭ついていて、いつ駆けだすかわからないありさまです。
メーソフはあきれかえって、目をみはりました。
メーソフの姿を見て、太郎は笑いながら飛び出してきました。それから、両腕を組み、首をかしげて、いばりくさったようすで言いました。
「メーソフさん、この馬車はなかなかいいですね。すっかり気に入りました。どうか売ってください。ぼくたちは、このとおり、じつは奇術師《きじゅつし》なんです。これから、満州《まんしゅう》中を、いや世界中を、旅して歩かなければなりません。それには、ぜひとも馬車がいるんです。あなたが売ってくださるまでは、いく日でも、この中に泊りこむ覚悟をしてるんです。食べものもたくさんあるし、毛布もあるし、ピストルだって持っていますよ。さあどうです、売ってくれますか、いやですか。売ってくれなければいつまでも、死ぬまで、この馬車の中にがんばってみせますよ」
メーソフが怒りだすかと思って、太郎は内心びくびくしていましたが、メーソフはしばらく太郎のようすをながめて、それから、髭《ひげ》だらけの顔にしわをよせて大きく笑いました。
「ほう、あんたがたは、奇術師《きじゅつし》だったのか。そして、この馬車《ばしゃ》が、そんなに気に入ったんですか。よろしい、わたしの負けだ、売ってあげましょう。きのう、あずかった金がいくらだかわからないが、あれだけでよろしい。そのかわりに、この馬車をあげましょう。この馬車なら、世界中まわったって大丈夫《だいじょうぶ》だ。安心していらっしゃい」
「え、本当、本当ですか」
メーソフは何度もうなずきました。太郎はその胸にすがりつきました。キシさんも馬車から出てきて、メーソフとしっかり握手《あくしゅ》しました。
匪賊《ひぞく》のなかへ
いよいよ金銀廟《きんぎんびょう》に向かっての旅です。
始めのうちは、のんきでした。奇術師《きじゅつし》といっても、それはひと目をごまかすためのもので、時々奇術のまねごとみたいなことをやるだけで、旅を急ぎました。キシさんが二頭の馬を御《ぎょ》し、太郎とチヨ子とは、馬車の箱の中で、白猫のチロと遊びながら、奇術のけいこでもするだけでした。馬車の中には、用心のために、食べものもたくさん積んでありますし、武器もありました。太郎が持ってる不思議な地図をたよりに、町から町へ、村から村へと、進んでいきました。ところが、十日たち、二十日たつうちに、旅はしだいに困難になってきました。
村がだんだんなくなってきます。見渡す限りひろびろとした荒野《こうや》の中や、いつ通りぬけられるかわからない森の中などに、いくにちも迷いこんだり、けわしい山のすそを遠くまわったり、雨が降って旅ができなかったり、いろんなことがあるうえに、夜はいつも馬車《ばしゃ》の中に寝なければなりませんでした。けれどもみんな、チロも馬も元気でした。キシさんは歌をうたったり、おかしな話をしたりして、太郎とチヨ子を笑わせました。
それから、カラマツの森の中に、また迷いこんで、四―五日も出られなかった時は、さすがのキシさんも弱ったようでした。一番困るのは、水がなかなか見つからないことでした。そしてある夕方、思いがけなくその森から出ると、すぐそこに、ひとかたまりの家がありまして、その先には、青々とした野原が広がっていました。
「村だ、村だ」と、キシさんは叫びました。
馬を駆けさせて、村にはいりました。
村といっても、十二―三軒の家だけで、その家はみんな、低い土壁《つちかべ》に瓦屋根《かわらやね》をのせて、入口が一つついているきりでした。そして不思議なことには、その入口はみな、がんじょうな戸が締めきってありました。
キシさんは馬車から下りて、家の戸を一つ一つ叩いてまわりましたが、誰も開けてくれる者はなく、返事もなく、家の中には人のけはいもありませんでした。
「おかしい。誰もいない」
太郎も馬車から下りて、家の戸を叩いてまわりました。
「どこにも、誰もいませんね。どうしたんでしょう」
キシさんと太郎とは、なお村の中を見てまわりましたが、やっぱり人の気配《けはい》はしませんでした。それから村の横手には、大きなにごり池がありまして、その岸に、亀《かめ》が幾匹かいて、きょとんと頭をあげて空を見ていました。
「はっはっは……」
キシさんは笑いました。
「人間のかわりに亀がいる」
亀はその声に驚いたように、どぶん、どぶんと、池の中に滑りこんでいきました。その時、太郎はふと思いだしました。一郎のおじさんが持っていた剥製《はくせい》の鳥のこと、その二つのくちばしの鳥と亀の話……それがどうやら、この池であったことかもしれません。こんな北の国に亀《かめ》がいるのは珍しいことです。
太郎はキシさんを引っぱっていって、馬車《ばしゃ》に戻りました。そして、一郎のおじさんからもらった不思議な地図をだし、眼鏡《めがね》をのぞいて調べました。すると、鳥と亀とが書いてあるところがあって、しかもそれが金銀廟《きんぎんびょう》のすぐ近くなのです。
「あ、これだ、これだ」
キシさんも眼鏡でのぞきました。
「おう、金銀廟は近いぞ」
チヨ子も、眼鏡でのぞきました。そしてにっこり笑いました。
確かに、二つのくちばしの鳥と亀との話の池です。金銀廟もそう遠くはありません。みんな急に元気になりました。
人のいない、変な村……そんなことはもうどうでもよくなりました。
夕方でしたから、食事をして、その夜はそこで、馬車《ばしゃ》の中ですごすことにしました。
その夜遅く、太郎は目をさましました。馬車の屋根がきいきい鳴るような気がしたのでした。何か変ったことがある時には、馬車の屋根がきいきい鳴ると、そう聞いていたからかもしれませんし、また実際に鳴ったのかもしれません。そして太郎が目をさましてみると、チロが起きあがって、肩をいからし、馬車のそとにじっと気をくばっていました。
太郎は耳をすましました。あちこちの家の戸口にかすかな音……それから人の足音……そんなのが聞こえるようです。馬車の屋根がきいきい鳴ってるような気もします。
太郎は、そっとキシさんを起こしました。
「人の足音がしますよ」
キシさんも耳をすましました。
「うむ何か音がしてる」
昼間は、誰もいなかった村です。それがこの夜中に……確かに音がしています。キシさんはピストルを手にとりました。そして馬車の窓を引きあけると同時に、叫びました。
「誰だ?」
外は、しーんとして
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