す、熊《くま》がいます……。
「わかったでしょう。それは、地図ですよ。さて、その金銀廟《きんぎんびょう》というのは……」
老人は他の紙一枚よりだして、その始めの方を指しました。そこを眼鏡でのぞいてみると……白い塔が立っていて、その上に、小さな白猫が寝ています。よく見ると、太郎のチロとそっくりで、いまにも起きあがって駆け出しそうです。
太郎は驚いてしまいました[#「驚いてしまいました」は底本では「驚いてしましいました」]。ちょうど、窓から夕日が差して、部屋の中がまっ赤になり、まるでおとぎばなしの国にいるような気もちでした。
「一郎がお世話になったお礼に、その地図をあげましょう」
と、老人は言いました。
「金銀廟まで行くには大変だから、李伯将軍《りはくしょうぐん》でも道に迷うかもしれません。だから、その地図を見ながら行くといいんです。それは不思議なインキで書いたもので、その眼鏡でなければ見えません。けれど、人に見せてはいけませんよ。地図など持ってるところを見つかると、探偵《たんてい》とまちがわれて、ひどい目にあうことがありますよ」
太郎はうれしくてたまりませんでした。もう、すぐにも金銀廟まで行けるような気がしました。白い塔……白い猫……それまでも地図に書いてあるんです。
太郎は何度もお礼を言いました。そして、おじいさんからもらった薬――肌につけて大事にしてる薬を、少し老人にわけてやりました。そして帰って行きました。
一郎がおくってきてくれました。ふたりはまた、腕を組みあわせて歩いていきました。
「きみのおじさんは変な人だね」
「なぜだい」
「変なものばかり持ってるじゃないか」
「そりゃあ、手品《てじな》使いだからね」
そして一郎は立ち止まりました。
「あ、明日の手品はどうしよう」
「そうだ、これからキシさんに相談してみよう」
ふたりは、あくる日のことを約束して別れました。
奇術《きじゅつ》くらべ
太郎はすぐに、キシさんの部屋へ行ってみました。不思議な地図のこと、不思議な眼鏡《めがね》のこと、仲よしになった一郎のこと、明日の手品《てじな》のこと、いろいろうれしいやら気にかかるやらで、いきなり、キシさんがいる部屋に飛び込んでいきましたが、入口で、びっくりして立ち止まりました。
部屋の中はごったがえしていました。一郎からあずかった手品の道具のほか、はしごだの、縄《なわ》だの、棒だの、いろんなものが散らかっており、帽子屋や、仕立屋などが来ていて、キシさんとチヨ子とが、手品《てじな》使いの服装をあつらえているのです。
「よいところへ帰りました」
と、キシさんは太郎に言いました。
「みんな、手品使いになるんです あなたも[#「なるんです あなたも」はママ]、すきな服、あつらえなさい」
「みんなで手品使いになるの?」
「そうです、そうです」
そしてキシさんは[#「キシさんは」は底本では「キシさは」]、太郎を部屋のすみにひっぱっていって、小声《こごえ》で言いました。
「手品使いに化けて、金銀廟《きんぎんびょう》まで行けます。あやしむ人、ありません。無事に行けます」
「すてきだ、おもしろいなあ」と、太郎は叫びました。
「すぐに行こうよ」
「しっ、秘密《ひみつ》、秘密。うまく化《ば》けること、大事です」
そこで、太郎は、五色の縞《しま》の服と、ふさのついた大きな帽子……キシさんは、白と黒との市松《いちまつ》の服と、尖った三角の帽子……チヨ子は、紫のすっきりした服と、白い羽のついた帽子……そんなものをあつらえました。大急ぎで、あくる日までに作ってもらうことにしました。
「あすから、始めましょう」と、キシさんは言いました。
「私とあなた、芸の競争をしよう。どちらが勝つか……」
「よし、やろう。負けるものか」
「私も負けない」
そしてふたりは、笑いながら握手《あくしゅ》しました。
太郎はその夜、眠られませんでした。キシさんと芸の競争をすることになってみると、さあ、負けたくはありません。けれど、手品《てじな》も[#「手品《てじな》も」は底本では「手品《てじな》の」]奇術《きじゅつ》も、これまでに一度も習ったことがなく、なんにも知りませんでした。キシさんと競争どころか、へたをすると、見物人たちから怒られるかもしれません。下野一郎さえも、見物人たちから怒られたのである。
「困ったなあ……」
太郎はため息つきました。一郎のおじさんから教わろうかしら……とも考えましたが、それでは間に合わないでしょう。
「はて、どうしたものかしら……」
太郎は、額《ひたい》にしわをよせて考えました。長い間考えました。
「あ、そうだ」
太郎は思わず叫びました。よい考えが浮かんだのです。
太郎は起きあがりました。そして、こっそりと練習をしました。どういうことをしたか、それは後で申しましょう。
雲もなく風もない、よいお天気でした。あつらえた服や帽子も届きました。それを身につけると、キシさんもチヨ子も太郎も、見たところだけは、立派な手品使いでした。
三人は、町の広場に出かけました。前の日のことがあるので、もう、おおぜいの見物人《けんぶつにん》が集まっていました。だが、手品を使うのは、今日は一郎ではありません。
まず、キシさんとチヨ子とがすすみ出ました。キシさんは長いはしごを持ちだして、それを両手で頭の上に立てました。すると、チヨ子がキシさんの肩に昇り、それからはしごを一段ずつ、ゆっくり、ゆっくり、昇り始めました。キシさんは足をふんばり、両腕に力をこめて、うん……と力んでいます。チヨ子は、だんだんはしごを昇っていきます……。
見物人《けんぶつにん》たちはささやきあいました。
「えらい、力だ」
「力じゃない、芸だ」
「いや、力だ」
「危ないことをするなあ」
チヨ子は、はしごの一番上まで昇りました。紫の服が、日の光に照り映え、帽子の白い羽がちらちらふるえました。そしてチヨ子は、美しい声で歌いました。
[#ここから2字下げ]
魔法のはしごは、
のびるよ、のびるよ、
天までとどくよ。
天にのぼれば、
五色の花が、
咲いた、咲いたよ、
五色の花が。
[#ここで字下げ終わり]
歌ってしまうと、ポケットから何かとりだして、ぱっと放りました。それは五色のテープで、五色の蜘蛛《くも》の糸のようになって、あたり一面に広がりました。見物人《けんぶつにん》たちは、わっと喝采《かっさい》しました。なんども喝采しました。
今度は太郎の番です。太郎は玉乗りの大きな毬《まり》を持ちだしました。それから籠《かご》の中から何か取り出しました。見ると、金の目銀の目の白猫のチロです。チロは首に大きな鈴をつけていました。太郎は毬の上にチロを乗せました。そして、ひょいと手を叩くと、チロは毬の上に乗ったまま、その毬をころころ動かし始めました。
チョチョチョン、チョチョチョン、チョチョチョン、チョン……太郎の手が鳴ります。ころころ、ころころ……と毬が転がります。チロはちゃんとその上に乗っていて、チリリン、チリリン、チリリン、チン……と首の鈴が鳴ります。太郎が手を叩くのをやめると、チロは四本の足で毬を止めてしまいます。
実に、見事な猫の玉乗りです。わーっと喝采がおこりました。太郎は目に涙をためて、チロを抱きとりました。
ほんとうに成功でした。思いがけないほどうまくいきました。太郎とチヨ子とキシさんとは、うれしさに涙ぐんで、手をとりあいました。一郎は、見物人が放り出してくれたお金を、拾い集めました。
「お金もうかる、お金もうかる」
キシさんがそう言ったので、三人とも笑いました。
そこへ、一郎のおじさんが出てきました。太郎からもらった薬が、不思議によくきいて、元気になってるのでした。そのお礼に、おじさんは手品《てじな》の道具をすっかり譲ってくれましたし、なお、キシさんの方は力技だし、太郎の方は猫の芸だからといって、本当の手品使いの芸を、いろいろ教えてくれました。
「これならだいじょうぶだ」
キシさんも、太郎も、そう考えました。そしていよいよ、興安嶺《こうあんれい》の奥の金銀廟《きんぎんびょう》まで、出かけることに決心しました。
三人は、手品使い……というよりも、奇術師《きじゅつし》になりすましました。松本さん夫婦も、下野一郎とそのおじさんも、ひどくわかれをおしんでくれました。そして、何かことがあったら、松本さんのところに、知らせることに約束しました。
奇術師になった三人は、多くの荷物を持って、大連《だいれん》から船で、山海関《さんかいかん》に渡りました。山海関から先は、奇術をやりながら行くのです。
鉄の馬車《ばしゃ》
山海関で、大事な用がありました。奇術をやりながら、興安嶺《こうあんれい》の山奥まで行くのですから、とちゅうでどんなことが起こるかわかりませんし、道に迷うことがあるかもしれませんので、まず第一に、じょうぶな馬車《ばしゃ》と馬とがいるのです。
馬は、すぐに見つかりました。たくましい、栗毛の馬を二頭買いました。ところが、じょうぶな馬車《ばしゃ》が、なかなかありませんでした。馬車屋に行ってききましたが、ふつうの馬車きりありませんし、新しくこしらえさせるには、大変手間どります。自動車ではだめなんです。それには、キシさんも太郎も困りました。
そしてある晩、むだにあちらこちらたずね歩いたのち、宿屋に帰りますと、並木の下のうす暗いところに、ひとりの少年が、しくしく泣きながら、立っていました。
「どうしたんだい」と、キシさんは親切にたずねました。
少年はなおしゃくりあげました。
「なんで泣いてるんだい」
「家から追い出されたの」
と、少年はやっと答えました。
「追い出された……何か悪いことをしたんだろう」
少年は頭をふりました。
「ぼくは、メーソフさんのところに、小僧《こぞう》にあがってるんだよ。すると、この二、三日、馬車に変なことがあるから、そういってやったら……」
馬車と……というのを聞いて、キシさんと太郎とは、顔を見合わせました。太郎はもうだいぶ中国の言葉もわかるようになっていたのです。キシさんは少年を、ベンチのあるところにつれて行って、そしてわけを聞きました。
メーソフさんというのは、年とったロシア人で、古物商《こぶつしょう》をやっているのです。その店にあやしい馬車《ばしゃ》が一つありました。大きな馬車で、箱は鉄板でできており、車輪も鉄でできてるのです。むかし、あるえらい役人が、旅をするとき、賊をふせぐためにこしらえたものだそうです。それが、メーソフさんの倉の中にしまってあります。
その馬車に、不思議な言い伝えがあります。何か変ったことがあるときには、その屋根がきいきい鳴るというんです。
ところが、この二、三日、少年が倉の中にはいっていくと、なんだか、馬車の屋根がきいきい鳴るようです。始めは気にもしませんでしたが、何度もそれらしい音がきこえるので、少年は気味悪くなりました。馬車の屋根がきいきい鳴りますよ、と少年はメーソフさんに注意しました。メーソフさんは黙っていました。少年はまた注意してやりました。すると、メーソフさんはひどく怒りました。
「そんなばかなことがあるものか。とんでもないことをいう奴だ。けちをつけやがって……今晩はめしを食わしてやらないぞ。出ていけ!」
そして少年は、御飯も食べさしてもらえず、外に追い出されたのでした。
「その馬車を買いましょうよ。ちょうどいいや」
と、太郎はキシさんにささやきました。
「うむ、よかろう」
と、キシさんは答えました。
そこで、ふたりは少年に案内さして、メーソフの古物店《こぶつてん》に行きました。
大きな店でした。仏像《ぶつぞう》や、陶器類《とうきるい》や、いろんな骨董品《こっとうひん》などが、いっぱい並んでいて、その奥のほうに、年とったがんじょうな男がひかえていました。顔じゅうまっ黒い髭《ひげ》をはやして、目がきらきら光っています。それがメーソフでした
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