を転がしていくのです。それを少しやっているうちに、彼の顔は赤くなり、額《ひたい》に汗が出てきました。危ない! と太郎が思ったとたん、少年は毬から転がり落ち、毬は見物人のひざにはねかえりました。人々はどっと笑いました。少年は起きあがると、夢中で毬をひろいとり、いきおいこんで、再びやり始めました。また、しくじりました。毬は人々の膝や胸にはねかえりました。
「ばか!」
と、叫ぶ者がありました。
少年はいらだって、やり続けました。
「やめろ、へたくそ! やめちまえ」
と、叫ぶ者がありました。
少年はなおさらいらだって、夢中にやり続けようとしました。
「やめろ。ばか、へたくそ!」
人々はどなり出しました。少年はなおいきりたちました。喧嘩《けんか》ごしで、毬の上に乗ろうとしました。群衆の方もおこりました。どなりつけ、おどかし、石を投げる者までありました。
「やめちまえ。もらった金を返せ」
「こんな奴《やつ》、追いはらっちまえ」
群衆は騒ぎだしました。少年は毬《まり》をかかえ、歯を喰いしばって、ぶるぶる震えていました。石がいくつも飛んできました。
「待ってください、待ってください」
と、するどい声がひびきました。
太郎が、そこに飛び出して、子供ながらも、少年を後にかばって両手を広げて、つっ立ったのです。
太郎はなお大きな声で言いました。
「待ってください、この人はぼくがよく知っています。手品《てじな》はとてもうまいんです。世界で一番上手です。ただ、きょうはからだのぐあいがよくないんです。きょうは病気なんです。それで、うまくいかなかったんです」
群衆は少し静かになりました。太郎はなお言いました。
「あすはすばらしい芸を見せてあげます。ここで、この場所で、すばらしい芸を見せてあげます。うそだと思ったら、この手品の道具をあずかっておいてください。あすやって来て芸を見せます。逃げも隠れもしません。うそだと思う人は、この手品の道具をあずかってください」
こんな手品の道具なんか、誰もあずかろうという者はありませんでした。太郎は得意気に微笑《ほほえ》んで、少年をうながして、道具をかたずけさして立ち去ろうとしました。その時、群衆の中から、大きな男がのっそり出てきました。
「私、その道具あずかる」
太郎はびっくりして、ふりかえって見ますと、それは、労働者のような汚いみなりをしてはいますがまさしく、キシさんです。毎日一緒に暮らしてる、あの李伯将軍《りはくしょうぐん》のキシさんです。
キシさんは、つかつかと歩み寄ってきました。
「あすまで、その道具あずかる」
そして小さな声で、太郎にささやきました。
「秘密《ひみつ》、秘密……。あとで話す」
それから、また大きな声で言いました。
「明日、ここで、すばらしい手品《てじな》なさい。それまで、この道具、私あずかる。かわりに、私お金あずける」
そしてもうキシさんは、片手に銀貨をいっぱい握って、それを差し出していました。
太郎は困りました。まさか手品の道具をあずかろうという人があろうとは思いませんでしたし、しかもキシさんが出てこようとは思いもかけなかったのです。けれども、キシさんなら、自分が持ってるのと同じことだし、「秘密、秘密」と言われたのは、何かわけがあるに違いありません。それで太郎は、わざと知らん顔をしていました。
「それでは、道具のかわりに、そのお金をあずかっておきます 明日[#「おきます 明日」はママ]、ここに来てください。そしたら、すばらしい手品をして見せましょう」
キシさんはお金を渡すと、金輪《かなわ》や皿《さら》やナイフや大きな毬《まり》など、手品の道具を、地面に敷いてあったむしろに包んで、それをかかえて、さっさと立ち去ってしまいました。
おおぜいの見物人も、しだいに立ち去ってしまいました。
広場のまん中で、太郎と手品使いの少年とは、ぼんやり顔を見あわせました。少年は、ただあっけにとられてるようでした。
太郎は言いました。
「きみの道具を持っていったあの人は、ぼくが一緒にいる人だよ。今はあんな汚いないなりを[#「汚いないなりを」はママ]していたが、偉い人なんだ。心配しないでもいいよ」
「でも、あすはどうしよう」
「ああ、手品《てじな》か、困ったなあ。ぼくがでたらめ言っちゃったもんだから……だけど、あの人に何か考えがあるんだろう。あとできいてこよう」
そしてふたりは歩きだしました。
少年はふいに立ちどまりました。
「きみとは、こちらにくる船の中で、知り合ったばかりだが、名前は何というんだい」
「上野太郎《うえのたろう》というんだよ。きみは……」
「ぼくは下野一郎《したのいちろう》だよ」
ふたりは笑いました。上野太郎……下野一郎……口に中でくりかえすと、おかしくなって、また笑ってそれから仲良く腕《うで》を組んで歩いていきました。
ふしぎな地図
太郎と一郎は、料理屋によって、いろんなおいしいものを買い、それを折り箱に詰めてもらいました。そして、一郎のおじさんの、手品使いの老人のところへ行きました。だんだんからだがきかなくなって、もう寝てばかりいるのだそうです。だから一郎はひとりで、下手な手品《てじな》を使って、働かなければならなかったのです。
町はずれの、汚い小さな宿屋でした。
「そっとはいるんだよ。おじさんはよく眠ってることが多いから……」
と、一郎は言いました。
部屋にはいると、片隅に、薄い布団《ふとん》にくるまって、老人がすやすや眠っていました。一郎と太郎は、そっと窓のほうに行って、そこに座りました。
小さな戸棚《とだな》が一つあるきりの、がらんとした、さびしい部屋でした。戸棚の上に、剥製《はくせい》の白い鳥がおいてありました。
窓から外を見ると広い荒地《あれち》で、その先の方に、赤くにごった池があって、柳の木が二、三本立っていました。そのにごり池と、ひょろひょろした木とを眺めていると、太郎はもの悲しくなってきました。
「さびしい所だね」
と、太郎は言いました。
「でも、馴《な》れるとそんなでもないのよ」
と、一郎は言いました。
「あの池ね、どうしてあんなに赤くにごってるんだい」
「まわりが赤土だからだよ」
「魚も何もいないだろうね」
「いないよ」
「つまらないね」
「それでも、水鳥《みずとり》が時々くるんだよ。ああ、おもしろいものを見せようか」
一郎は、そっと立っていって、戸棚《とだな》の上の剥製《はくせい》の鳥を持ってきました。それは、鷺《さぎ》に似た白い鳥でしたが、不思議に、長いくちばしが頭の横っちょについていました。
「これね、おじさんが大事にしてる鳥なんだよ。そして何度も、おかしな話を聞かしてくれるんだよ」
一郎はその話をしてくれました。
あるところに、くちばしを二つ持ってる鳥がいたんだって。長いくちばしと、短いくちばしと、二つあるんだよ。その鳥が、池のふちに立っていた。おおかたあすこに見えるような、にごった池なんだろう。食べるものがない。鳥はお腹を空かして、池の面《おもて》をじっと見ていた。けれど、一匹の小さな魚も泳いでいない。それで、長いくちばしは短いくちばしに言ったんだよ。
「おまえ、そのへんのごみ[#「ごみ」に傍点]の中をつついてみないか。何かいるかもしれないよ」
「いやだ」
と、短いくちばしは答えた。
「こんな汚いごみ[#「ごみ」に傍点]の中をつっつくのはいやだ。おまえがつっついたらいいじゃないか」
そして二つのくちばしは、喧嘩《けんか》を始めたんだよ。長いくちばしはお腹が空いて困るから、ごみの中をつっついてみろと、短い方に言うし、短いくちばしは、えてかってなことを言う奴だと、長い方を怒ったんだよ。いつも何かうまいものがあると、長い方が先に食べてしまった。森の中で美しい果物を見つけたり、川の中できれいな魚を見つけたりすると、長いくちばしが先にそれをつっついて、短いくちばしには、皮《かわ》や骨《ほね》しかくれなかった。それを、短いくちばしは怒っていたんだよ。
――「だって、いいじゃないか」
と、長いくちばしは言った。
――「お前とおれとは、一つの腹きり持っていないんだから、おれが食べたって、お前が食べたって、同じことじゃないか」
――「違うさ」
と、短いくちばしは言い返した。
「お前はいつもうまいものを味わってるし、おれはまずいものばかり、味わってる。不公平《ふこうへい》だ」
――そして、いくら言い争ってもきりがないし、しまいにはどちらも黙りこんでしまった。けれど、やはり食べるものはないし、お腹は空いてくるので、長いくちばしはまた、短いくちばしに向かって、そのへんをつっついてみろと言いだしたんだ。短いくちばしはほんとに怒っちゃって、どうなろうとかまうもんかという気で、ごみの中や泥の中をやたちにつっつきまわしたよ。
――すると、食べるものはなんにもなかったが、泥の中から、大きなものがにゅっと出てきた。よく見ると、亀《かめ》の首なんだよ。
――「危ない、危ない」
と、長いくちばしは叫んだ。
「もうやめろよ。亀《かめ》に食いつかれたら、死んじまうじゃないか。危ない」
――「なに、かまうもんか」
と、短いくちばしは言った。
「おまえが無理にさせたんじゃないか。死んだっておれの知ったことじやない」
――そして短いくちばしは、半分やけくそになって、わざと亀の頭をつっつくと、亀は怒って、その短いくちばしをくわえたんだ。大きな亀で、短いくちばしをくわえたまま、鳥全体を、泥水の中に引きずりこんでしまった。そして、両方のくちばしとも、鳥と一緒に、その汚い泥水の中で溺《おぼ》れ死んだんだよ。
――その鳥がこれだと、おじさんは言うんだ。短いくちばしは、亀にくわえられて折れたから、長いくちばしだけが残ってるんだって。だからこのとおり、横っちょについてるんだよ。
そんな話を聞いていると、太郎にはその剥製《はくせい》の鳥がおかしく思われましたし、向こうの泥水の池もおもしろく思われてきました。
「きみのおじさんは、そんな話をたくさん知ってるのかい」
「ああ、いくつも知ってるよ。もっと話してあげようか……。あ、おじさんが起きた……」
薄い布団《ふとん》に[#「布団《ふとん》に」は底本では「布団《ふとん》んに」]くるまって眠っていた老人が、からだを動かして、そして目を開いて、こちらを不思議そうに見ていました。
老人は、薄いどてら[#「どてら」に傍点]をひっかけて、起きあがりました。やせ細っていて、顔や手は日に焼けて赤黒く、髪には白髪《しらが》が交っていて、みすぼらしいようすでしたが、目だけはきれいに澄《す》んで光っていました。
一郎は太郎を紹介《しょうかい》して、これまでのことをくわしく話しました。太郎は自分のことを話しました。玄王《げんおう》の娘のチヨ子のこと、李伯将軍《りはくしょうぐん》のこと、金銀廟《きんぎんびょう》のことなどすっかり打ちあけました。そして、そうしながら、持ってきた御馳走《ごちそう》を三人で食べました。
老人はいちいちうなずいて、おもしろそうに一郎や太郎の話を聞きとりました。
「私も手品《てじな》使いをしてほうぼう歩いたことがあるから、満州《まんしゅう》や蒙古《もうこ》のことはよく知っていますよ。金銀廟のことも、行ったことはないが、話には聞いています。あんたが金銀廟を訪ねて行きなさるなら、よいものを見せてあげましょう」
老人は、押し入れの中に頭をつっこんでしばらく何かさがしましたが、やがて何枚もの白い紙と、柄《え》のついた大きな眼鏡《めがね》を、取り出しました。
「さあ、その紙を、その眼鏡でのぞいてごらんなさい」
太郎は不思議に思いながら、その白い紙をひろげて、眼鏡でのぞいてみますと……びっくりしました。ただの白い紙のようですが、その上に、ありありと、いろいろなものが浮かび出てきました。山があります、川があります、道があります、家があります、大きな塔があります、馬車がありま
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