くりあげました。
「なんで泣いてるんだい」
「家から追い出されたの」
と、少年はやっと答えました。
「追い出された……何か悪いことをしたんだろう」
少年は頭をふりました。
「ぼくは、メーソフさんのところに、小僧《こぞう》にあがってるんだよ。すると、この二、三日、馬車に変なことがあるから、そういってやったら……」
馬車と……というのを聞いて、キシさんと太郎とは、顔を見合わせました。太郎はもうだいぶ中国の言葉もわかるようになっていたのです。キシさんは少年を、ベンチのあるところにつれて行って、そしてわけを聞きました。
メーソフさんというのは、年とったロシア人で、古物商《こぶつしょう》をやっているのです。その店にあやしい馬車《ばしゃ》が一つありました。大きな馬車で、箱は鉄板でできており、車輪も鉄でできてるのです。むかし、あるえらい役人が、旅をするとき、賊をふせぐためにこしらえたものだそうです。それが、メーソフさんの倉の中にしまってあります。
その馬車に、不思議な言い伝えがあります。何か変ったことがあるときには、その屋根がきいきい鳴るというんです。
ところが、この二、三日、少年が倉の中にはいっていくと、なんだか、馬車の屋根がきいきい鳴るようです。始めは気にもしませんでしたが、何度もそれらしい音がきこえるので、少年は気味悪くなりました。馬車の屋根がきいきい鳴りますよ、と少年はメーソフさんに注意しました。メーソフさんは黙っていました。少年はまた注意してやりました。すると、メーソフさんはひどく怒りました。
「そんなばかなことがあるものか。とんでもないことをいう奴だ。けちをつけやがって……今晩はめしを食わしてやらないぞ。出ていけ!」
そして少年は、御飯も食べさしてもらえず、外に追い出されたのでした。
「その馬車を買いましょうよ。ちょうどいいや」
と、太郎はキシさんにささやきました。
「うむ、よかろう」
と、キシさんは答えました。
そこで、ふたりは少年に案内さして、メーソフの古物店《こぶつてん》に行きました。
大きな店でした。仏像《ぶつぞう》や、陶器類《とうきるい》や、いろんな骨董品《こっとうひん》などが、いっぱい並んでいて、その奥のほうに、年とったがんじょうな男がひかえていました。顔じゅうまっ黒い髭《ひげ》をはやして、目がきらきら光っています。それがメーソフでした。
少年は、ふたりをメーソフの所に連れていって、馬車《ばしゃ》を見にきた人だと伝えました。
「案内して、お見せしろ」
と、メーソフはぶあいそうに言いました。
裏の倉の中には、石だの像だのが転がっていて、うす暗くて、冷え冷えとしていて、すみの方に、大きな馬車がありました。少年が言った通り、古いけれどじょうぶな鉄の馬車でした。
キシさんと太郎は、メーソフのところに戻ってきました。
「あの馬車は、いくらですか」
と、キシさんがききました。
メーソフは、じろじろふたりのようすを眺《なが》めてから言いました。
「あの馬車は、売られません」
「え、売られない……でも、見せてくれたでしょう」
「見せてはあげます……けれど、売りはしません」
キシさんは、しばらく考えてから、また言いました。
「売ってくれませんか。値段のことなら、少しは高くてもいいんですが……」
「いいえ、売りません」
そして、メーソフの髭《ひげ》だらけの顔の中で、目がぎらりと光りました。
「なぜ売らないんですか」
「なぜでも、売りません」
ぶあいそうな、ぶっきらぼうな返事なので、どうにもしかたがありませんでした。
キシさんと太郎は、すごすご出ていきました。
「早くめしを食ってこい」
と、少年にどなってるメーソフの声が、うしろに聞こえました。
馬車《ばしゃ》を売らないわけが、キシさんにも太郎にもわかりませんでした。見せるからには、売りものに違いありません。値段のことなら、少しは高くてもよいと、こちらから言ったのでした。きっと、メーソフは、なにかかんしゃくをおこしていたのでしょう。
けれどあの馬車なら、金銀廟《きんぎんびょう》まで行くのにもってこいです。ぜひとも買わなくてはなりません。何か変ったことがあるときは、屋根がきいきい鳴るなんて、ほんとにせよ、うそにせよ、おもしろいじゃありませんか。どうしたら買えるか、キシさんも太郎も考えました。先方が売らないというのを、無理にも買おうというのです。ふたりとも、知恵をしぼって考えました。
そのあくる朝、太郎はにこにこして起きあがりました。うまい考えが浮かんだのでした。
「まあ、待っていてください」
太郎はキシさんにそう言って、お金を持って出かけました。古物店《こぶつてん》には、あの少年もおり、メーソフも、昨日の通りひかえていました。太郎は元気よく飛びこ
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