いますがまさしく、キシさんです。毎日一緒に暮らしてる、あの李伯将軍《りはくしょうぐん》のキシさんです。
 キシさんは、つかつかと歩み寄ってきました。
「あすまで、その道具あずかる」
 そして小さな声で、太郎にささやきました。
「秘密《ひみつ》、秘密……。あとで話す」
 それから、また大きな声で言いました。
「明日、ここで、すばらしい手品《てじな》なさい。それまで、この道具、私あずかる。かわりに、私お金あずける」
 そしてもうキシさんは、片手に銀貨をいっぱい握って、それを差し出していました。
 太郎は困りました。まさか手品の道具をあずかろうという人があろうとは思いませんでしたし、しかもキシさんが出てこようとは思いもかけなかったのです。けれども、キシさんなら、自分が持ってるのと同じことだし、「秘密、秘密」と言われたのは、何かわけがあるに違いありません。それで太郎は、わざと知らん顔をしていました。
「それでは、道具のかわりに、そのお金をあずかっておきます 明日[#「おきます 明日」はママ]、ここに来てください。そしたら、すばらしい手品をして見せましょう」
 キシさんはお金を渡すと、金輪《かなわ》や皿《さら》やナイフや大きな毬《まり》など、手品の道具を、地面に敷いてあったむしろに包んで、それをかかえて、さっさと立ち去ってしまいました。
 おおぜいの見物人も、しだいに立ち去ってしまいました。
 広場のまん中で、太郎と手品使いの少年とは、ぼんやり顔を見あわせました。少年は、ただあっけにとられてるようでした。
 太郎は言いました。
「きみの道具を持っていったあの人は、ぼくが一緒にいる人だよ。今はあんな汚いないなりを[#「汚いないなりを」はママ]していたが、偉い人なんだ。心配しないでもいいよ」
「でも、あすはどうしよう」
「ああ、手品《てじな》か、困ったなあ。ぼくがでたらめ言っちゃったもんだから……だけど、あの人に何か考えがあるんだろう。あとできいてこよう」
 そしてふたりは歩きだしました。
 少年はふいに立ちどまりました。
「きみとは、こちらにくる船の中で、知り合ったばかりだが、名前は何というんだい」
「上野太郎《うえのたろう》というんだよ。きみは……」
「ぼくは下野一郎《したのいちろう》だよ」
 ふたりは笑いました。上野太郎……下野一郎……口に中でくりかえすと、おかしくなって、また笑ってそれから仲良く腕《うで》を組んで歩いていきました。

      ふしぎな地図

 太郎と一郎は、料理屋によって、いろんなおいしいものを買い、それを折り箱に詰めてもらいました。そして、一郎のおじさんの、手品使いの老人のところへ行きました。だんだんからだがきかなくなって、もう寝てばかりいるのだそうです。だから一郎はひとりで、下手な手品《てじな》を使って、働かなければならなかったのです。
 町はずれの、汚い小さな宿屋でした。
「そっとはいるんだよ。おじさんはよく眠ってることが多いから……」
と、一郎は言いました。
 部屋にはいると、片隅に、薄い布団《ふとん》にくるまって、老人がすやすや眠っていました。一郎と太郎は、そっと窓のほうに行って、そこに座りました。
 小さな戸棚《とだな》が一つあるきりの、がらんとした、さびしい部屋でした。戸棚の上に、剥製《はくせい》の白い鳥がおいてありました。
 窓から外を見ると広い荒地《あれち》で、その先の方に、赤くにごった池があって、柳の木が二、三本立っていました。そのにごり池と、ひょろひょろした木とを眺めていると、太郎はもの悲しくなってきました。
「さびしい所だね」
と、太郎は言いました。
「でも、馴《な》れるとそんなでもないのよ」
と、一郎は言いました。
「あの池ね、どうしてあんなに赤くにごってるんだい」
「まわりが赤土だからだよ」
「魚も何もいないだろうね」
「いないよ」
「つまらないね」
「それでも、水鳥《みずとり》が時々くるんだよ。ああ、おもしろいものを見せようか」
 一郎は、そっと立っていって、戸棚《とだな》の上の剥製《はくせい》の鳥を持ってきました。それは、鷺《さぎ》に似た白い鳥でしたが、不思議に、長いくちばしが頭の横っちょについていました。
「これね、おじさんが大事にしてる鳥なんだよ。そして何度も、おかしな話を聞かしてくれるんだよ」
 一郎はその話をしてくれました。

 あるところに、くちばしを二つ持ってる鳥がいたんだって。長いくちばしと、短いくちばしと、二つあるんだよ。その鳥が、池のふちに立っていた。おおかたあすこに見えるような、にごった池なんだろう。食べるものがない。鳥はお腹を空かして、池の面《おもて》をじっと見ていた。けれど、一匹の小さな魚も泳いでいない。それで、長いくちばしは短いくちばしに言ったんだよ。

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