てみましたが、彼はもう出てきませんでした。太郎は船室に戻っていきました。名前もわからず、ところもわかりませんでしたが、その少年のことを、なつかしく考えました。
あくる日、船は大連につきました。太郎は手品使いの少年を探しましたが、見つかりませんでした。
松本さんの店は、大連《だいれん》の賑《にぎ》やかな所にありましたが、別に、住居《すまい》が山手の方の静かな所にありました。一同は、そちらに落ち着きました。
ところが、大連でも、蒙古《もうこ》の玄王《げんおう》のことは、よくわかりませんでした。興安嶺《こうあんれい》の奥の山の中で、汽車も自動車も通わず、道もはっきりしないし、いく十日かかって行けるかわからないところです。松本さんとキシさんとは、いろんな方面について、はっきりした事情をしらべにかかりました。
チヨ子は、家の中でチロと遊んでばかりいて、少しも外に出ませんでした。それで、太郎はひとりでよく出かけました。
大連には、いろいろな国の人が多く、いろいろ立派な家が並んでるので、太郎には珍しくおもしろく思われました。
ある日も太郎は、ひとりでぶらぶら歩いていました。すると、港近くの広場におおぜい人だかりがしているので、行ってみました。
広場のまん中にござ[#「ござ」に傍点]をしいて、三角の帽子をかぶり、汚い服をつけた少年が手品《てじな》をつかって見せていました。
「おや、あれは……」
太郎はつぶやいて、なおよく見ますと、確かに船の中で知りあった少年です。
「だいぶ練習したらしいな。うまくなってるよ」
太郎はひとりごとを言って、人の後から見ていました。
少年は、いつかの輪投げの芸を見せていました。今日は、五色にぬった輪を五つ持ち出して、高く宙に投げあげては受けとめ、両手でくるくる使い分けをして見せました。それがすむと、長い竹の先で、皿まわしをして見せました。次には一枚の銀貨を、からだのあちこちに隠したり、あちこちから出したりして見せました。その合間には、しゃちほこ立ちをしたり、とんぼ返りをしたりしました。
だけど、群衆はただぼんやり見てるきりで、喝采《かっさい》する者もなく、お金を放ってやる者もあまりありませんでした。少年は悲しそうでした。
次に少年は、ひと抱えほどある大きな毬《まり》を取り出し、玉乗りの芸を始めました。
毬の上に乗って、足でそれを転がしていくのです。それを少しやっているうちに、彼の顔は赤くなり、額《ひたい》に汗が出てきました。危ない! と太郎が思ったとたん、少年は毬から転がり落ち、毬は見物人のひざにはねかえりました。人々はどっと笑いました。少年は起きあがると、夢中で毬をひろいとり、いきおいこんで、再びやり始めました。また、しくじりました。毬は人々の膝や胸にはねかえりました。
「ばか!」
と、叫ぶ者がありました。
少年はいらだって、やり続けました。
「やめろ、へたくそ! やめちまえ」
と、叫ぶ者がありました。
少年はなおさらいらだって、夢中にやり続けようとしました。
「やめろ。ばか、へたくそ!」
人々はどなり出しました。少年はなおいきりたちました。喧嘩《けんか》ごしで、毬の上に乗ろうとしました。群衆の方もおこりました。どなりつけ、おどかし、石を投げる者までありました。
「やめちまえ。もらった金を返せ」
「こんな奴《やつ》、追いはらっちまえ」
群衆は騒ぎだしました。少年は毬《まり》をかかえ、歯を喰いしばって、ぶるぶる震えていました。石がいくつも飛んできました。
「待ってください、待ってください」
と、するどい声がひびきました。
太郎が、そこに飛び出して、子供ながらも、少年を後にかばって両手を広げて、つっ立ったのです。
太郎はなお大きな声で言いました。
「待ってください、この人はぼくがよく知っています。手品《てじな》はとてもうまいんです。世界で一番上手です。ただ、きょうはからだのぐあいがよくないんです。きょうは病気なんです。それで、うまくいかなかったんです」
群衆は少し静かになりました。太郎はなお言いました。
「あすはすばらしい芸を見せてあげます。ここで、この場所で、すばらしい芸を見せてあげます。うそだと思ったら、この手品の道具をあずかっておいてください。あすやって来て芸を見せます。逃げも隠れもしません。うそだと思う人は、この手品の道具をあずかってください」
こんな手品の道具なんか、誰もあずかろうという者はありませんでした。太郎は得意気に微笑《ほほえ》んで、少年をうながして、道具をかたずけさして立ち去ろうとしました。その時、群衆の中から、大きな男がのっそり出てきました。
「私、その道具あずかる」
太郎はびっくりして、ふりかえって見ますと、それは、労働者のような汚いみなりをしては
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