に飛ぶわけにはいかんよ。ここまでってはっきり、空中に印をつけてくれよ。すぐに飛ばしてみせよう」
 相手の子供は困って、黙りこんでしまいました。
「ほんとに、チロはなんでもできるんだよ」と、太郎は言いました。
「だけど、めったにしないだけなんだ」
 そして、かれはチロを抱いて、帰って行きました。
 そういうことがあってから、太郎はなんだか心配になってきました。おじいさんは笑いました。
「心配することはないよ。猫というものは、なかなかえらいやつで、犬なんかに負けはしない」
 それでも太郎は、安心しませんでした。家にいるときでも、始終、眠ってまで、チロのことを気にしました。いっしょに外に出かけるときには、そのそばを離《はな》れませんでした。チロは駆けまわって、草の中に隠れたり、木に登ったり、石ころにじゃれたりしました。そのあとを追っかけて、太郎も駆けだし、息を切らしました。そして、チロ……チロ……と呼ぶと、チロはすぐに駆けてきて、彼の胸に飛びつきました。

      神社の前の米俵《こめだわら》

 ある日、太郎とチロは遊びつかれて、海岸の草原の上に寝ころんで、うっとりしていました。日の光がやわらかくさして、海がさーっ、さーっと、優しい音をたてていました。
 白い波が巻きかえしてる砂浜が、ずーっと続いてる、その向こうの、松林から、何か黒いものが二つ、ぽつりと出てきました。それが、だんだん、非常な早さで、こちらへやって来ます。
 それを、太郎はぼんやりながめていました。二つの黒いものは、しだいに大きくなって、海岸の草原をつたって、なおやって来ました……。二頭の馬でした。馬に乗った人達でした。太郎は、夢を見てるような気持ちがしました。もう近くへ来ました。二頭とも立派な、栗毛の馬で、先のには、女が乗り、後のには男が乗っていました。ふたりとも、黒っぽい洋服を着、長い靴をはき、細い鞭《むち》を持っていました。鞭や手綱《たづな》には、何かきらきら光るものがついていました。
 馬は足をゆるめて、たったったっ……と、ゆっくり、太郎のそばを通りかかりました。すると、先の女は、そんなところに太郎が寝そべってるのに、初めて気がついて、びっくりしたようすで、ぴたりと馬を止どめました。そして、じろじろ見ていましたが、ふいに、馬から飛び下りて、太郎のそばにやって来ました。
「まあ……」
 チロの方
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