なに長く走り続けるのをみると、軍馬にちがいない、とお姉さまはお言いなさる。まったく、お姉さまはすこし変だった。
 小野田さんはいつもの通り、勝手口へ来て、牛乳瓶をわたしに渡して、笑いながら言った。
「この牛乳は、馬くさくありませんよ。」
 わたしは返事に困った。よけいなことを覚えてるひとだ。お母さまが出ていらして、ほ、というような声をお立てになった。
「今日はお馬ではございませんのね。おあがり下さいませんか。」
 小野田さんはすぐ、玄関の方へ回り、座敷に通った。黙ってたのがわたしの罰で、忙しくなった。お母さまはいろいろな用をお言いつけなさる。まず煎茶とお菓子をだし、それから紅茶にウイスキーを添え、梨の皮をむき、やがてお吸物にお鮨。矢野さんの別荘番が折よく来ていて、自転車で使いに行ってくれたので、助かった。
 お母さまと小野田さんと、どんな応対をなさったか、わたしは知らない。ただ、口数は少いが、窮屈ではない、そんな雰囲気だったようだ。あとでは、お姉さまの病室の方も開け放しになっていて、お姉さまは広縁の方に出て、脇息にもたれて褥に座っていらした。小野田さんとも話をなさったに違いない。もう黙って、小野田さんの方を見つめていらっしゃるのだが、その眼が、錐のように鋭く、突き刺すようで、しかも視線は遠くに届かないような、妙な印象をわたしに与えた。
 小野田さんは庭の方を眺めながら、ウイスキーを飲んでいた。酒好きだとみえる。もう眼の縁を赤らめ、その眼尻で笑ったり、眉をぴくりとしかめたりした。
 この高原に霧が多い話から、各地の霧の話も出た。戦地で、濃霧の中を進軍していると、ぱったり敵兵と顔をつき合せ、あまり近すぎるし突然のことなので、斬り合いをすることも忘れて、双方ともじりじり後に退った、そういうこともあったとか。そのような時、咄嗟に敵を刺したり捕えたりすることが出来たら、もう一人前の兵隊だそうである。
 いったい、小野田さんの話は、真偽不明で、ひとをはぐらかすようなところがあって、なんだか煙幕でも張ってある感じだ。
 霧のことについで、雷の話も出た。剣つきの銃をにない、三十人ばかりひとかたまりになって行進していると、その銃剣の穂に大きな雷が落ちて、全員圧死してしまったこともあるとか。また時には、その中の一人だけに雷が落ちて、側の者はみな助かったこともあるとか。沼の真中に落ちる雷
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