笑を洩らすんだ。随分癪に障っちゃったよ。」
「それでやり込められたわけだね。」
「なにあべこべにやり込めてはやったんだがね。君がいう通り随分いやな婆だよ。」
「一体林とおたか[#「たか」に傍点]のことは確かなのかい。」と松井は尋ねた。
「多分間違はないよ。勿論おたか[#「たか」に傍点]の方から云やあ一時の撮み喰いにすぎないんだろうがね。」
松井は黙って洋盃《コップ》を上げた。と村上も同時にぐっと一杯やった。
「それにね、」と村上は声を低くした。「林と云うなあ支那人じゃないかと思うんだがね。いやに黙りくさってにこにこばかりしていやがってね。りん[#「りん」に傍点]と読めば君よく支那にある名前じゃないか。どうもあの顔付が何だか変だよ。」
「そう云やあ、あの顔の工合なんかどうも本物らしいね。」
もう二人共可なり酔っていた。瞳を据えて互の眼を見入りながら、彼等は何かある不吉なものを感じあった。それは言葉には現せないただ漠然としたものだったが、それが次第に色濃くなってゆくのを二人共意識していた。
「馬鹿な話だ。」
「馬鹿な話だ。」
こう殆んど同時に二人は云った。
「ほんとに林は支那人かね。」と暫くして松井は云った。
「なに事実はそうじゃないだろう。只そう思った方が面白いやね。」
「だんだん複雑してくるね。」
「何が?」
「何がって……おたか[#「たか」に傍点]の周囲がさ。」
「僕達も当然そのうちにはいるんだろうね。」と云って村上は笑った、「その方が面白いじゃないか。」
「どうだか。」
「だって君はおたか[#「たか」に傍点]が好きだろう。好きだと云い給えな。」
「嫌いじゃないよ。……君はどうだ。」
「僕だって嫌いじゃないさ。が好きでもないね。」
二人はまた酒をのんだ。
「ねえ君、」と云って村上はすぐ松井の顔の前に自分の顔を持って来た。「おたか[#「たか」に傍点]が僕達二人のものだったら、君は僕と決闘でもやるだろうかね。」
松井は黙って村上の眼を見返した。
二人は露わに互の眼を見合った。一瞬間其処には何の愧じらいもなかった。互に裸体のまま相手の凝視の前に立っていた。
松井ははっとした。それが何かということがちらと心に閃めいたのである。彼は拳を固めた。そしてつと顔を引いたと同時に村上も顔をひいた。
「え!」と喫驚したような声を松井は出した。
「さあ飲もうよ。」と村上が
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