球体派
豊島与志雄著

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)面《めん》で
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 私は友人の画家と一緒に夜の街路を歩いていた。二人とも可なり酔っていた。どういう話の続きか覚えていないが、彼はしきりに球体派という言葉をくり返していた。
「日本画と西洋画との本質的なちがいは、日本画は線で物を把握し、西洋画は面《めん》で物を把握する、というところにある。ところがこの面というものが甚だ厄介で、ともすると平面になってしまう。平面の集まりになったんじゃあ、絵が死んでしまうし、物のヴォリュームは出てこない。面其のものを直接に取扱う彫刻にしたって、見給え、大抵は死んでるのが多いじゃないか。面を生かす……ヴォリュームの力で底からまるくふくれ上ってくる……そういうところに僕の努力や苦心があるんだ。立体派をもう一つ先の球体派というところまでつきぬけるんだ。」
「球体派は賛成だ。」と私は叫んだ。「なぜかなら……。」
 私達が歩いている街路は、大震災後四五年たって――余りに遅すぎるが――漸く復興されてる最中だった。その上道路も修繕中だった。鉄骨、木片、コンクリート、レール、舗石、其他
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