が悪くなったんです。ここは地下室でしょう。だから、掘割の水面より低いんですよ、汚い溝の水より低いんですよ。だから、むかむかするんで……。」
 青木は卓にしがみつき、上体を傾けて、胃袋の中のものをげっげっと吐き出した。

 深夜、青木は泥酔してアパートに帰った。だが、泥酔してるのは体だけで、頭はへんに冴えてる気持ちだった。
 妻の登志子はもう眠っていたが、起き上って来た。青木は和服に着換えると、不機嫌そうに叱りつけた。
「もう起きなくても宜しい。早く眠ってしまうんだ。僕は大事な仕事があるから、それを片附けてから寝る。うるさいから、起きてはいかん。」
 茶の間をはさんで、一方が寝室、一方が四畳半の仕事部屋になっていた。青木は冷えた番茶をやたらに飲んで、仕事部屋にはいって寝転んだ。或る種の蜘蛛や甲虫のことを、彼は頭裡に浮べていた。それらの虫は、大敵が身辺に迫ってくるのを感ずると、頭をすくめ足を縮めて、死んだ風を装うのである。人が指先で突っついても、そうする。そしてずいぶん長い間じっとしている。引っくり返しても、身動きもせずに死んだ真似をしている。敵が遠ざかったと感じてから漸く、這って逃げ出す
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