。あいつが来そうで、僕こわいんだ」
「化《ば》け者《もの》か」
「いつやってくるかも知れないんだよ」
「しょうのない臆病者《おくびょうもの》だね」
奇術《きじゅつ》の紳士は出ていって、やがてまたやってきて、トニイのそばのベッドにねました。
「おじさんは、ほんとにこわいと思ったことがあるの」
「そりゃあるさ」
「どんな時がいちばんこわかったの」
「そうだなあ……二年前、おれの乗ってた船が暴風《しけ》にあって、沈んでしまい、おれは海の上にほうり出されて、まっ暗な夜、板一枚にしがみついて流された時は、こわかった」
「それから、どうしたの」
「救いあげられたよ」
「誰に?」
「今いっしょにいる人たちさ。お前はおれたちを何だと思ってるんだい」
「さあ、何だろうなあ……盗賊《とうぞく》か、海賊《かいぞく》か、密輸入者《みつゆにゅうしゃ》か、むほん人か……」
「はははは、あたったよ、実は海賊なんだよ。人にいったら、生かしてはおかないから、いいかい」
「大丈夫だよ。いいやしないよ。海賊っておもしろいだろうなあ」
「そのかわり、命がけだからね、あぶない仕事さ」
「じゃあ、やめたらいいじゃないの」
紳士は何とも返事をしませんでした。なにか深く考えこんだらしく、トニイが話しかけても相手になってくれませんでした。
五
翌朝、トニイは早く目をさましました。そしてそばの紳士を起こしました。
「僕を家までおくってきてくれる約束だったでしょう」
「だって、昼まなら、一人で帰れるだろう」
「いやだよ。あいつが、化《ば》け者《もの》が、また出てくるかも知れないんだもの」
「ばかだね、お前は」
それでも、紳士はいっしょについてきてくれました。
二人は歩いていきました。きれいに晴れた日で、朝日がうつくしく照っていました。紳士は煙草《たばこ》をふかし、トニイは口笛をふいていました。
トニイはとくいでした。うまくごまかしてしまったのです。紳士をつれて、マリイの家の方へやってきました。
マリイが住んでるアパートの前まで来ると、紳士はびっくりしたように立ち止まりました。
「お前はここに住んでるのか」
「そうですよ。階段や廊下があぶないんだ、いつあいつが出てくるかわからない。僕の部屋までおくってきて下さいよ」
せまい階段を三階までのぼって、奥の部屋まで行き、トニイはいきなりその扉を開
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