》、無花果《いちぢく》、沈丁花、椿など、雑多な樹木で、熊笹の数株まで添えてありました。清水恒吉は全く快心の笑みを浮べ、真作と二人で、それを庭のあちこちに植えました。家よりも寧ろ池を中心に、いろいろと案配し、幾度も植えなおしたりして、一日中かかりました。
 夕食には、酒が出され、牛肉が煮られました。肉鍋への野菜としては、葱と共に芹がありました。この芹が恒吉の自慢で、池の水の落ち口あたりに自生してるのでした。真作は鍋の芹をつまみながら言いました。
「まったく、結構ですな。」
 恒吉は猪口をあげました。
「東京では、牛鍋といえば必ず葱だが、葱よりも芹の方がうまい。もっとも、この節のように砂糖がなくては、芹はだめだがね。丁度よかったよ。辰子が砂糖を少し残しておいてくれたし、池には芹が残っていた。女も池も、どちらもまあ、物の始末がいいよ。」
 それから彼は、池に家鴨《あひる》を四五羽飼おうかと思ってることを打ち明けました。それは、彼よりも寧ろ孫の信生の望みでありました。――恒吉はもう五十歳を越していました。一人息子の信彦は北京に行っていて、家族には、信彦の妻の政子と子供の信生、婚家先から戻って寄
前へ 次へ
全26ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング