が本当だったかも知れません。
終戦後、この池はまた子供たちの遊び場所となりました。火災の際に投げ込まれた多少の器物は、いつのまにか、すっかり拾いあげられましたし、また、以前からいた緋鯉や真鯉や鮒の類は、それも僅かではありましたが、いつのまにか、捕獲されてしまっていました。けれど、まだ小魚やエビカニなどがいました。それを釣りに子供たちは集りました。
このエビカニ釣りは、なかなか面白いものでした。エビの胴体にカニの大きな鋏をつけた奴、アメリカの原産とかいって、硝子器の中などに入れ、子供の玩弄物に売り出されたものです。それが、数年間に、東京近県の水田や河川に繁殖していますが、都内のこの池にも可なりいました。針にはあまりかかりませんが、その代り、針がなくとも餌さえつけておけば、餌につかまって上ってきます。それを、水面すれすれのところから、ぱっと陸にはねあげるか、手網ですくい取るかするのです。大きいのになると、胴体だけで十センチもあり、鋏も同じぐらいの長さがありました。
子供たちがそんなことをして遊んでる一方、あちらこちらでは、既に畠がつくられていましたし、または、瓦礫を片附け土を掘り起し
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