ことを考えると、幻覚の由って来るところを、心理的にも見てよいだろうと思われる。
 このような幻覚を発展さした彼の短篇小説をめくると、いろんなことが書かれている。
 或る日、家に戻ってきて、室にはいってみると、誰かが自分の肱掛椅子に坐っている。不在中に友人でもやって来て、自分の帰りを待ちながら居眠ってるのかも知れない。それで、近寄っていって、その肩に手をかけようとすると……手は椅子の背にふれて、人の姿は消えてしまった。
 また、誰か始終自分につきまとってる男があるような気がして、不安に思っていると、その男がやがて、自分自身になってしまう。椅子に坐ろうとすると、その男――自分自身が、先に坐っている。コップの水を飲もうとすると、其奴が先に飲んでしまう。花をつもうとすると、其奴が先につんでしまう。
 こうなってくると、少しおかしいが、然し、自己という意識の外部に、自分自身の姿を見出すことは、精神の混濁している時よりも、精神が極度に――或る病的に冴え渡った深夜などに、往々あるものである。
      *
 気違茄子の、或る地方に産するものの実をたべると、屋根といわず木の梢といわずに、やたらに高い
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