亡夫と諍いをしたというのです。――良夫がもう酔っ払って、正体もなくなっているのに、まだ、到来物の鹿児島の本場の焼酎をあおろうとしたから、彼女はそれをとめた。むりにとめると、お銚子をやにわに投げつけられた。それが、額に当って打撲と裂傷とになり跡が残ったものらしい……。
「それからは、あたくし、男の方のお酒には、もう口を出さないことにしました。」
憤懣とも自嘲ともつかないものが、山川正太郎の胸うちにこみあげてきました。
――あれほど気にとめていた彼女の痣は、ただそれっぱかしのものであったのか。それぐらいのことさえ、俺は彼女についてまだ知らなかったのか。
彼はじっと彼女の卵形の顔を眺めました。
「乾杯しましょう。」
とろりとした茶色の液体をなみなみと満したグラスを、彼女は静かに手にしました。
二人は同時にグラスを挙げました。
彼女は眼を細めて飲みほし、グラスを卓上に戻しました。それを、彼は見定めてから、手にある空のグラスを、床板に叩きつけました。音はわりに小さく、微塵に砕けて、光燿の破片が散乱しました。
憤りと悲しみと一緒になった感傷が山川正太郎を囚えました。涙が流れました。
前へ
次へ
全19ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング