ませんでした。
後れて辞し去る上原稔を、彼は呼びとめました。
「君はまだいいよ。も少し飲もう。」
上原稔はちょっと躊躇しましたが、腰を下しました。
二人は黙っていました。上原稔は山川正太郎の眼を見ました。山川正太郎も、相手の眼を見返しました。それから視線は分れました。やがてまた視線が合いました。
「飲み給えよ。」と山川正太郎は言いました。
上原稔もグラスを手にしました。
そして、飲んでいるうちに、何か光に似たものが、山川正太郎の頭に浮びました。それが何であるかは、まだはっきり掴めませんでしたが、小さな皺を寄せていた彼の額の皮膚は伸び拡がり、眼眸は輝いてきました。
彼は手を差し出して、上原稔の骨張った頑丈な手を握りました。そして言いました。
「吾々のために乾杯しよう。僕は君の身方だ。」
上原稔は眼をしばたたきました。
「これが、先日の君への返答だ。」
「分ったね。」
俄に大きく見開いてじっと見つめた上原稔の眼は、涙にぬれてきました。その眼を伏せて、彼は言いました。
「分りました。」
「鋼板は、明日からでも、どしどし使い給え。君に任せる。僕も、出かけるよ。いいだろうね。」
前へ
次へ
全19ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング