じます。お待ちしておりますから、お出で下さいませんでしょうか。」
「有難うございます。御用の時には伺わせて頂きます。」
 どうとも取れるその言葉を残して、若者は丁寧にお辞儀をして、すたすたと歩み去って行ったのでありました。
 秀梅はそっと家へ戻りました。女中の※[#「槿のつくり」、86−下−11]香だけが、彼女の左手の擦り傷は戸外でなされたことを知りました。
 秀梅は若者の来訪を待ちました。然し若者は訪れて来ませんでした。その若者が画舫の李景雲だったのであります。

 ひたひたと、物静かな水音をたてながら、画舫は湖心の方へ出てゆきました。
 やがて、陳秀梅は急に気付いたかのように、李景雲に漕ぐのを止めさして、席近くに招きました。彼女の顔には、おっとりとしたやさしい笑みが浮んでいました。
「あの翌日、なぜ来ませんでしたか。待っていましたよ。」
 景雲は顔を赤らめて、つっ立っていましたが、ようやく答えました。
「御用のある時に伺うつもりでございました。」
「そう……たしか、あの時も、そういうことをいいましたね。まあ、そこへお坐りなさい。」
 景雲はもじもじしていましたが、うつ向けた眼に、秀
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