来に立ち止って、長い間こちらを見上げていることもあった。隣りの屋根の上から、こちらの室を覗いていることもあった。庇にのぼって来て、室内にはいり込もうとしていることもあった。それが、男の姿をしていることもあれば、女の姿をしていることもあるし、どこの誰とも分らないが、たしかに、一人ではなく、幾人かの相棒があるらしかった。その人たちが殊に知りたがってるのは、原稿のことで、何が書いてあるか、読みたがっていた。あぶないから、出かける時には、原稿は本箱の抽出にしまって、鍵をかけることにしたが、それでも安心はならなかった……。
まあだいたい、そういう工合でした。そして美津子さんは急に痩せてきたようで、もともと引緊っていた頬の肉が、一層緊張してきて、黒目がちな眼に、険のある陰が深まってきました。
美津子さんは良吉さんをなるべく家に引き留めておきたいらしく、朝の出勤の時など、玄関で次のような応対が聞えることがありました。
「では、今日はほんとに早く帰って来て下さいますね。」
「ああ出来るだけ早く帰るよ。然し、つまらないことを心配するもんじゃない。」
「でも、いつも監視の眼があるんですもの。」
「ただ
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