気のせいさ。第一、君の生い立ちの記などに、誰が興味を持つものかね。」
「そりゃあ、あたしの生い立ちの記ですけれど、その中に、いろいろのことを書いているので、それがあの人たちには怖いんですよ。」
「なあに、大丈夫、大丈夫。おばさんや花子さんもいることだし、心配することはない。」
 そして良吉さんは出かけて行くのですが、帰りは相変らず遅いことが多かったのです。
 良吉さんは平気でいたようですが、わたくしたちの方は、美津子さんのことを案ずる気持ちが次第に深くなってゆきました。
 美津子さんはふらりと茶の間にはいって来て、五分間ばかり話しこむと、俄に思いついたように、また二階に上ってゆくことが、しばしばでした。そして三畳の方に引っこんで、せっせと原稿を書いてるようでした。良吉さんがいない時は、六畳の方で勉強していましたが、あとではもう、三畳の方しか使わなくなりました。そこは、腰高の壁の上に小さな窓があるきりで、縁側の障子をしめ切ると、陰気な薄暗い室ですが、その中に閉じこもって、ことりとの物音も立てないで、原稿を書いていました。
 あの時など、美津子さんは顔色を変えておりて来ました。
「生い立ち
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