別に聞き耳を立てたわけではなく、何を言い争っていらっしゃるのか分りませんでしたが、ただならぬ声の調子でしたし、食卓を叩く音がしたり、杯を打ち割る音がしたりして、それがいつまでも続きますので、へんに寒々とした気持ちになりました。そしてわたくしたちは寝ましたが、あとで、母から聞いたところに依りますと、お二人は夜通し言い争っていらしたらしいとのことでした。
その翌朝、良吉さんは御飯もあがらず、早く出かけておしまいになりましたが、美津子さんは正午すぎまで寝ていらしたようでした。
それが最初で、それからは、時折喧嘩なさることがあるようでした。喧嘩と言っても、打つとか殴るとか、取っ組み合うとかいうのではなく、ただの言い争いにすぎませんでしたし、それも短い間のことで、あとはお二人とも黙りこんでおしまいになりました。
ところが、ある時、美津子さんはお風呂から帰って来て、いきなりわたくしへ尋ねました。
「留守の間に、京子さんが来はしませんでしたか。」
京子さんなんて、初めて聞く名前なものですから、わたくしには見当がつかず、母へ尋ねますと、母はただ、そんなひとはおいでになりませんでしたと答えました
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