。その思い出が親しくなり美しくなるに従って、それを寂滅為楽の途に進むことと思っているらしいんだ。そして遂には前に進むことを知らないで、過去へ過去へと全く向き返ってしまって退くばかりなんだね。」
「それでは時《タイム》というものを全く征服してしまったのではないでしょうか。」
「そうも云えるだろうが、また反対に時に征服されたんだとも云えるだろうね。」
彼は叔父の語る所に先刻から何かの強い意志の籠っていることを感じていた。それで煙草をすすめてみた。
「僕はすっかり煙草は止《よ》してしまったよ。」こう云って彼は淋しい微笑を顔に漂わした。
「お身体《からだ》でも悪くて被居るのですか。」とたえ[#「たえ」に傍点]子が尋ねた。二人共叔父が時々軽い咳《せき》をしているのに気附いていた。
叔父の語る所によると、彼は大分前から肺を侵されているとのことである。自分では時々肩の凝《こ》りを感ずる位だけど、医者の言によれば右肺に大分|浸潤《しんじゅん》があるらしい、そして激変を憂うるとのことである。
「それでは会社の方もお止めなすったら。」
「なに、人間は何かしていないと淋しいからね。」と彼は云った。それか
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