「たえ」に傍点]子の手からそれを見せて貰ったことをとうとう隠してしまったのである。
「お前からも叔父さんに手紙を書いたことはないんだね。」と彼は云った。
「ええありませんわ。なぜ?」
「ああそれでいいんだよ。」
「え?」と云って彼女は彼の顔色《かおいろ》を窺った。そしてこうつけ加えた。「あなた何か変なことを考えては被居らなくって?」
「何にも考えてなんか居ないよ。……叔父さんは俺達の恩人なんだね。」
「ええそうよ。たんと御馳走してあげましょうね。」
 そして二人はわけもなく微笑んでしまった。
「ほんとに御心持ちのいいようにしてあげなくてはいけないよ。」暫くして斯う彼は云った。

 叔父の来着を女中が彼の許に報じたのは十一時頃であった。
 彼は立ち上って、窓から青い空をすかし見た。一寸眉を聳《そびや》かして大きい呼吸をしてみた。心の底の或る堅くなっている思いをじっと押えつけるようにして。それから客間に入った。妻が叔父を其処に案内したばかりの所であった。
「大分お待ちしていました。」と彼は云った。
「こちらへは九時に着いたんだが、暫く郊外を歩き廻っていたのだから遅くなってすまなかったね。」
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