父が出立を誤らなかったというのは。その先を考えて彼はじっと眼を伏せた。
「何だ?」
「いえ、私もそうですが、叔父さんもお弱いようですね。」
「そう、自分でそんな風に考える時もあるよ。」
 それきり二人は黙ってしまった。彼は我知らず一人で儚《はかな》いものの方へと思いを馳せた。人性の底を流るる情操が如何なる形式のものであろうと、それをいたわろうとする所に常に残る痛々しい感情などを。
 叔父は暫く沈黙のうちに彼と並んで歩いていたが、急に足を止めた。
「どうかなすったのですか。」
「なに少し寒けがするようだから。」
「ああ、あまり長く外に居すぎたようですね。お身体に障るといけませんから。」
「いや、そんなでもないんだが……。でも今夜はお互にはっきりした話が出来て大変愉快だった。」
 家に入《はい》って電気の光りで見ると、叔父の頬が堅く引きしまっているのに彼は気附いた。そして心持ち青白くなっているのを。彼はその冷たそうな顔を暫く見守っていたが、やがて丁寧に頭を下げた。
「御悠《ごゆっく》りとお休みなすって下さい。」
 そして彼は叔父が扉《ドア》をしめた音を暫く其処に佇んで聞いていた。

 朝寝
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