先の走るのを見守った。それから静かなる旋律《メロディ》のうちにひたすらに身を浸さんとした。然し彼は知らず識らずに叔父の方へ注意を引かれた。叔父は彼女の肩のあたりを見守っていたが、それから視線を移してじっと上眼に壁の中間に懸っている風景画に眼をすえた。彼女は何処か急《せ》いた調子があった。最も自然に無邪気《インノオセント》なるべき諧調のうちに含まれる心《ハアト》を披瀝した宗教的気分が、かすかな指の狂いに乱さるる所が往々にしてあった。それを知ってか知らないでか、叔父はやはりじっと風景画に眼を据えていた。一つのソナタを終えて続け様に、も一つのソナタに進んだ時、叔父の顔にかすかな痙攣が見えた。それが彼の心にある特殊の苦悶を伝えた。彼は音楽の曲も、殆んど耳には入《はい》らないで、大きい樫の木立が並んだ画面に見入った。そして叔父のそれを見つめている心持ちが分って来たような気がした。画面から来る崇高なる感じと、叔父に対する悲壮なる感じとの合間合間に、高尚なそして無邪気な恍惚《エクスタシイ》のソナタの旋律が※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]まる。それが魅せられたよ
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