を得ていませんからね。加里と窒素が多すぎて、燐酸分が足りないですよ。」
すると、末席の方から、佐竹という若い人が言った。
「そうです。すべてに燐酸が足りません。」
「なるほど、すべてに燐酸が足りないかな。」
肥満した人は笑い、佐竹は顔を赤めていた。
それだけのことが、奇妙に一座の空気をはっきり照らしだした。実は、それまで、ごく普通の話題ばかりであり、ごく普通の意見ばかりにすぎなかったが、そのごく普通のことが蘇鉄の葉蔭で話されてることに、なにか普通ならぬものがあった。十二月九日のことで、昨年までは開戦記念日の翌日だったのが、今では日本が偉大な錯誤にふみこんだ記憶すべき日の翌日、連合軍司令部の記述した「太平洋戦史」が新聞紙上に発表され初めた日の翌日、そのことも、ここには少しも反映していなかった。然し反映していないそのことが、なにか普通でなかった。それが今、はっきりしてきたのである。謂わば、卑怯らしいもの、卑屈らしいものが、あったのであろうか。
思い出されたように、ビールが盛んに飲まれた。
波多野未亡人が時々出て来て、来客たちに愛敬をふりまいた。その態度のなかに一種の気位と羞みとが
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