然し、誰も問題に深入りしたがらなかった。故人波多野氏は怒り易かったと、変なところへ話がそれた。
 故人の思い出やその頃のことが話題になった。そして一座の空気は和やかなものになった。ビールの酔いも加わってきた。
 山口は故人と面識がなく、追憶の話に興味も覚えなかったので、そっと席を立った。
 襖を開け放した隣室で、故人と真の親友であった井野氏が、広間の話などには全く無関心に、或る青年と碁をうっていた。この痩身長躯の篤学者は、日本服の着流しにあぐらを組み、ビールを数本ひきつけて、飲みながら碁に夢中になっていた。
 山口は暫く碁を眺めた。それから外を眺めた。朝のうち切れぎれに浮んでいた雲は、四方の地平線に低く沈んで、上空は遙けく青く、庭の木の葉に斜陽が輝いていた。
 いま山口は、得意でもあり不満でもあった。精神的貞節論に知名の先輩達が賛成してくれたのが得意であり、それを戦争犯罪などに自ら結びつけたのが不満だった。それは彼の身心清潔法の一部を成すもので、恋人の前でこそ語るべきものだったのである。
 得意と不満との交錯は彼を大胆ならしめた。彼はそこにあった庭下駄をつっかけて、外に出た。一面に斜陽を浴びた庭はなにか寒々としていた。その彼方、袖垣の向うに、濃い煙がたち昇っていて、子供の笑い声がした。その方へ彼は歩いていった。
 空樽や木の株がころがってるその空地の真中で、落葉が焚かれていて、煙りがちなのを、男の子が頬をふくらまして吹いていた。
「焚火をしているのかい。どれ……。」
 山口は木の小枝をとって、煙ってる落葉をかきたてようとした。子供はそれを遮った。
「いけないよ。」
「だって燃えないじゃないか。」
「いけないよ。」
 積みかさなって煙ってる落葉を、子供はしきりにかばう様子だった。
 のびのびと発育した体躯の大きな子で、もう学齢ほどらしいのに、長い髪の毛を女の子のように額に垂らしていた。織目の見える古生地の粗服を着ていたが、それと対照に、ふっくらとした頬が如何にも瑞々しかった。
 子供は急に嬉しげな表情に変った。建物の蔭から、彼女が、魚住千枝子が、出て来た。
 いつもの端麗な顔だった。羽織なしに、紫と臙脂との縞お召の襟元を、窮屈そうなほどきりっと合せていた。その身扮で藁俵と枯枝とを胸いっぱいに抱えていた。
 彼女は黙って山口を見た。
 山口は会釈をした。
「お座敷の方へ
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