こもっていて、彼女はいつもより若々しく見えた。末席に控えていた山口専次郎は、彼女の肉附の豊かな柔かさに眼をとめた。と同時に彼は、魚住千枝子の皮膚の緊張した薄さを思い浮べた。が千枝子自身はそこに姿を見せなかった。未亡人も別室に女客達があって、そちらへ行くことが多かった。
「日本のビールは世界的なものですな。アメリカの兵隊も、これだけは讃美していますね。」
そういうことから、戦争犯罪のことに及んでいって、猪首の人が、犯罪人としての通告を受けた人々について話をした。或る者は泰然自若として、顔色一つ変えなかった。或る者は蒼白になって、来客の前にも拘らず手の煙草を取り落した。或る者は渋柿をなめたようなしかめ顔をした。或る者は……。
それらの話は、まるででたらめのようでありながら、その本人を識ってる人々にとっては躍如たる面目を伝えるような点があって、一座の注意を惹いた。ところが、個人的なその事柄に注意を集めたためか、戦争犯罪自体の問題は白々しいものとなり、その白々しいなかで、あなたは誰かと互に尋ね合っているような雰囲気を拵えた。これにも鉢植えの蘇鉄が役立った。蘇鉄の葉蔭で、知人同士、あなたは誰かと尋ねあった。
「ばかばかしいことですよ。責任のないところに犯罪はない。而もその責任がどこにも見付からない状態でしたからね。」
そういう議論になった時、山口専次郎は言葉を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]んだ。
「犯罪のことは、つまりは、精神的貞節の問題ではありませんでしょうか。」
彼は魚住千枝子のことを考えていたのである。そして彼女に対する自分の気持ちから、うっかり、取って置きの考えを言ったのだった。
ところが、山口自身で最も驚いたことには、その精神的貞節論は一座から歓迎された。多くの人々がそれに賛成した。要するに、貞節の保持者は犯罪者でないというのである。
「まるで、風儀の問題のようですな。」と先刻の燐酸の先生が大笑した。
その笑いに応ずるかのように、佐竹が言った。
「貞節なんかよりも、忿怒でしょう。現在、何物かに忿怒を感じてるかどうかによって、犯罪人であるか否かが決定されると思いますね。」
そして彼が言うところによれば、これまでの偽瞞に対して忿怒を感じてる者は無罪で、忿怒を感じない者は有罪だった。その説には何か痛烈なものがあった。
前へ
次へ
全14ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング