。私の愚かさをお許し下さいませ。
 たった一行の御返事でも頂けますなら、もしそれが絶望で心をまっくらにするものでありましても、どのように有難くうれしく思われることでございましょう。
 苦しく苦しく思いつめまして……。失礼何卒おゆるし下さいませ。
  吉岡先生様御許に[#地から1字上げ]葉山紀美子

 何か異様なのである。こういう手紙は容易には書けぬ。文字も麗わしく、美文調でもあるが、底に、妖しいとも言える一徹なものを湛えている。それが吉岡信一郎の心に一本の釘を刺した。彼はペンを執った。
 ずいぶん長く間を置いて、手紙が来た。次々に来るようになった。

 野辺に萩咲く秋になりました。
 吉岡先生には御機嫌うるわしくいらせられましょうか、お伺い申上げます。
 先頃は思い迫って、厚かましい無茶苦茶なお手紙を先生に差上げまして、どうなることかと恐ろしさに、じっと目をつぶっておりました。
 それが、それが、ほんとうにどうしたことでございましょう。神様のようにおえらい先生が私のようなバカにお手紙を下さいました。
 私は狐にでも[#「狐にでも」は底本では「孤にでも」]ばかされたように、ぽかんとして、何にもわけがわかりませぬ。私は夢を見ているのではないのでございましょうか。何にも信じられませぬ。夢ならば、いつ迄もいつ迄も死ぬるまで醒めないでほしゅうございます。
 私は先生にどのように御礼のお言葉を申上げてよろしいか、その言葉がわからなくて、今日は今日はと思いながら、つい日を過してしまいました。何卒お許し下さいませ。
 私はバカでございますから、どのように愚劣なことを申上げるかわかりませぬ。下らぬことばかり書いて先生にお手紙差上げましたなら、下らぬ奴と、きっとおさげすみになりましょう。それが恐ろしくて、私は何にもものが申上げられませぬ。
 今はただただ、勿体ない、うれしい、幸福な思いに、胸が一杯で、夢の中をうっとりとさ迷っているような気がします。そしてなんだかもう、死んでもよいような気さえ致します。
 何もかも考えることがわけもわからなく、泣きたいような切ない切ない気が致します。
 今日は一日、じめじめと雨が降りました。もう日も暮れかけて、煙った山がまるで絵のようでございます。
「永遠の人」という御本を、昨日姫路へ行って探してみましたけれど、どこにもありませぬ。東京にございますなら、
前へ 次へ
全12ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング