ることを意味する。文芸作家は、民衆のなかにあって畢竟は「異邦人」である。そして「祖国」を求むる意欲を持ち続ける限り、民衆の生活に積極的に働きかけてゆかざるを得ないだろう。「祖国」を不用だとするのは、自分に対する愛を、また人間に対する愛を、喪失してしまった者の言に過ぎない。
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民衆の生活に積極的に――芸術的に積極的に――働きかけるということは、民衆の生活に愛する心を以て関心を持つことに初まり、その閑心が芸術制作のプロセスから歪曲されないことによって終る。その時に初めて、作者の意欲の純粋性が保たれる。そこに文学の生命幹線がある。
この生命幹線を、私は、例えばピリニャークの「火を生む町」に感ずる。この一篇の物語のなかでは、主人公マルコフが作者の傀儡になりすぎてる憾みがないでもなく、また、マルコフが肉身の父親を失うと共に、人間の生活に、生活の痙攣に、父親を見出したという思想が、抽象的になりすぎてる憾みがないでもないが、それらのものを超えて、吾々の心を打つ何かがそこにある。また例えば、魯迅の「孤独者」に於てもそうである。その新味の少い坦々たる叙述を超えて、吾々の心を打つ何かがそ
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