こにある。そしてこの何かは、芸術的表現をくぐってもなお純粋な状態を保ってる作者の意欲――なお云えば生活意欲――に外ならない。
 右のような作品を読んだあとで、手当り次第に雑誌の頁をくりながら、メイ・シンクレアの「霊肉」にぶっつかると、私は、読み進むのに一種の困難を覚えた。殊に、ハリオットが臨終の際に精神的彷徨をなすあたりから先は、読み続ける忍耐がなくなった。
「霊肉」は、芸術的に苦心を重ねられた作品であるかも知れない。落付いた筆致と、省略的な手法と、簡明な描写とを以てして、全篇に高雅な香りが籠っている。そして後半に至っては、奇を衒わない陳腐な取扱方のうちに、新しい精神分析法の見解が含まれているのかも知れない。然しながら、ハリオットが初めに二度の清浄な恋をし、次に肉体的な恋をする、そのあたりから既に、それらの恋愛が生活から遊離しているのに対して、人間生活に関心を持つ読者は、何等かの焦躁を感ぜさせられないであろうか。そして最後に、ハリオットの霊がその肉体から脱しながら、肉欲を脱しきれずに、過去の恋愛の場面を彷徨するあたりになって、右の読者の焦躁は高まって、遂に書物をそこに投げ出すに至るかも
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