向である。勿論私は、吾国の文学に構想の貧弱さを認める。創造力の微弱さを認める。然し茲に言うのは、そういう構成の問題ではない。創作過程から云えばも一つ手前の、作品について云えばも一つ奥の、作者の意欲の問題を指す。たとい、出版商業政策のなかにあって、作者自身の生活が当面の問題となるにせよ、その問題が作者の意欲を左右して、読者を大衆的に獲得せんとする方向へ転ずる時には、文学は転落の危険に陥る。
 も一つの傾向は、純文学に対する悲観説とそれに伴う作者の意欲の衰退とである。その結果、作者は次第に自分の殻のなかに潜みこみ、なおその殻を小さく縮めようとする。個人主義であり、独善主義である。そしてこの独善主義が、文学に最も忠実な態度だと見誤られる時、文学は自滅の途を辿る外はない。単に自分のためにのみ創作のペンを執るということは、反対の比喩を用ゆれば、自殺者がその遺書に長々と感懐を託するのと同じである。共に、一の反語としてしか成立しない。
 読者を大衆的に獲得せんとすることも、または独善主義のなかに閉じ籠ることも、之を純文学の立場から見れば、作者の真の意欲の欠乏を意味し、民衆の生活への働きかけが消極化す
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