版資本主義の商業政策からくる生活の脅威に、不断に曝されている。
 この危機をきりぬけるためには、「祖国なき喜びと悲しみと」の、その悲しみは当然のことだが、その喜びをも感得しなければいけない。そしてその喜びを感ずるには、「祖国」を求むる強烈な意欲を持ち続けなければならない。云いかえれば、民衆の生活に対して、積極的に――芸術的に積極的に――働きかけていかなければならない。
      *
 民衆の生活に積極的に働きかけるということは、芸術的にという条件を付してさえおけば、誤解されることはあるまい。
 ところで、所謂大衆文学の方が所謂純文学よりも、より多く一般民衆に働きかけているという錯覚が、時として起こることがある。然しこれは、文学の本質的な作用を読者の数量によって測定しようとする、極めて皮相な錯覚である。この錯覚に、プロレタリア文学が囚われかかったことがある。そしてまた、所謂純文学全体が囚われかかっている。
 大衆文学は、多くは、民衆に媚びることをしか為さない。媚びを売ることをしか為さない。その情緒を擽り、その安価な涙を誘い、その安易な感激をそそるばかりで、その生活に対する掖導的作用に至
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