る。
 民衆の生活は、緩慢で鈍感である。強力であって、左顧右眄をしない。牛の如きものである。殊にその生活が現代のように貧窮し逼迫してくると、当面の必要事以外に目を向けたがらない。公衆は騒ぎ立てるが、民衆は默って当面の問題を見つめている。「民衆は貧窮している。だがまだつつましく忍んでいる。民衆は真の意味での生活を愛する。そして公衆の如き愚劣な野心と見得とを持たない。……社会は動いている。だが民衆はまだ動いてはいない。時代の動きが民衆自身の動きと著しくかけ離れている。民衆はまだ忍従しながら貧窮の中に冷静を保っている。時代の動きを見る場合に、公衆的見地と民衆的見地とを混淆しないだけの聰明さは、誰もが必要とするところではないだろうか。」と言ってる新居格君の説に、私は賛成する。そして、公衆を目標にする政治が民衆から遊離するのは、当然の帰結である。
 文学者は本来、一種の異邦人である。まして、民衆がパンの問題に当面して、忍従しながら静まり返って、他事を顧みる余裕の少い現代に於ては、猶更そうである。彼には、政治家に於ける公衆のような、自己欺瞞の――イリュージョンの――手品の種がない。ばかりでなく、出
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